桑原 和則

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生きた花に手応え感じて

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立花(花材は七竃=ななかまど=、鉄線、紅額、河原撫子=なでしこ=、晒木。花器は古銅立花瓶。幅90cm×奥行70cm×高さ100cm)
 山を歩き、絵を描くのが好きな少年だった。学校では、緻密な頭脳と手の器用さが幸いして、電気工学に進んだ。いけばなを始めたのは、中学時代からの恋人、桑原専渓流家元の長女、櫻子と結婚してからだ。結婚する以上はいけばなを、との同家の要請だった。

 「つかまってしまった感じはしますが、いいところにつかまったな、と思っています」

 桑原専慶流は専慶流と同じく、元禄時代、池坊から分かれた冨春軒専慶を流祖とする。現在十四代を数えるが、近年、流はこれまでにない隆盛を誇っている。和則と同じく同家に婿養子に入った現家元、仙渓の優れたマスコミ戦略と、家族の一人一人が流を背負って立てるタレント性を供えているのが理由だ。

 作風も「絵で言うなら、義父は水墨、義母は油絵、櫻子は水彩と、個性がみな違う。ぼくですか。さあ、日本画かな、毒のないきれいな円山派とか」。強烈な個性の持ち主に囲まれ、苦しくないわけはない。

 「ぼくはいけばなの家に育ってない。義母や櫻子を見てると、自然に身についたものってスゴイ。花と向き合う時のあの本能的なもの。ぼくにはそれがない。でも場数を踏むことで、いつかは追いつけると」

 覚悟が彼を古典に向かわせる。生花(せいか)と現代花を学んだ後、この家では男の仕事とされる立花を始める。宇宙の広がりが一本の足元にまとめられ、まっすぐに立つ緊張感。得意の大工仕事。晒木(しゃれぼく)探しの山行き。和則は立花にとりつかれた。

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昨年、「芸術祭典・京」で枳殼邸の池畔で試みた作品
 緊張感や広がり 立花には奥深さ

 「流祖は自然の景を瓶(へい)に移すのだと言ってます。一本の枝を出すことによって、谷ができたり、水辺にそよ風が起こったり…立花には、ことばに表現できないくらい奥深いものがあります」

 やがて、遊びも、との周囲のアドバイスによって、造形いけばなに手を染める。石につるを思わせる螺旋状の金属を立てて輪の部分にすだちをはめ込んだり、自然のグロリオーサに銅のメッシュで作った白のグロリオーサを配したり。

 「でもね、異素材を使って造形をと、工夫のことばかりに走ると、結局は薄っぺらいものになるという反省が今すごくあって」

 昨年、「芸術祭典・京」で枳殼邸の池畔に花をいけた。伝統美の庭園は何をもってしても飲み込まれるか、排除されるかのどちらか。悩んだ結果、アナナス二百鉢で構築した直径1.8mの球体を制作した。土つきのアナナスは、期間中、毎日の水やりによって元気に育ち、形としてだけではなく、生きている植物としての存在感を発揮した。生の花を使う手応えを再認識した桑原。

 「これからは、古典でも造形でも、生きた花がないと出せないものを自分の仕事にしていきたい。でも、やっぱり、帰るところは立花ですね」

(編集委員 林 恭子)
・くわはら かずのり・
1961年京都市生まれ。84年桑原専慶流副家元・桑原櫻子と結婚。97年同流副家元に就任。
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