メニュー
 京都新聞は、観光都市京都のパワーアップを目指して企画「観光・京都おもしろ宣言」をスタートさせました。人々の価値観はいま、物の豊かさから心の豊かさに移りつつあります。京のまちは伝統、歴史、自然環境と、どこを取っても格別な魅力をたたえてきました。京都新聞はそうした魅力に光を当て、京都を元気にする紙面を多彩に展開するとともに、フォーラムやイベントの開催、伝統文化体験の案内など、さまざまな「おもしろ」企画を発信していきます。

京都検定現地講習会

 京都検定の神髄を歴史の舞台に学ぶ現地講習会(京都能率協会主催)が始まった。5月に開かれた第1回の琵琶湖疏水記念館から11月まで計6会場の史跡や社寺で、京都検定の受験予定者らを対象にした講習会が開かれる。現地講習会の講演抄録を2回分ずつ計3回、掲載する。

第1回 琵琶湖疏水 琵琶湖疏水記念館館長・井垣成量さん 

 琵琶湖の水を引くことは、京都人の昔からの夢でした。第3代京都府知事となった北垣国道は、明治維新による東京遷都のため衰退した京都に活力を呼び戻すため、琵琶湖疏水の建設を取り上げました。疏水の水力で新しい工場を興し、舟で物資の行き来を盛んにしようという計画です。

 福島県の安積疏水の主任技師南一郎平に琵琶湖疏水計画の調査を依頼し、大津−京都間の測量を島田道生に命じ、東京の工部大学校を卒業したばかりの田邉朔郎を土木技師に採用するなどの準備を進めました。

 琵琶湖疏水記念館は、琵琶湖疏水完成百周年を記念して、その前年の1989年8月に開館しました。明治の大事業である琵琶湖疏水の意義を市民とともに思い返し、先人の気概を心の糧とし、未来に向かう活力とするということを願い建設されたものです。開館から今年4月までに140万人の入館者を迎えたところです。

 疏水を造る大きな目的は7つありました。まず、1つ目は水車動力により産業を興すことでした。明治維新以降、京都は衰退して、幕末には40万人近かった人口が、約22万7千人まで減っており、産業を立て直して、京都を再び繁栄させようという意図の下に造られました。2番目は運河として琵琶湖−大阪間の物資や人を船で大量に運ぶことにより、運賃を大幅に下げて、京都の産業を盛んにする狙いでした。

 3番目はかんがい用水。今でも山科にある洛東用水などは、かんがい用水として利用されています。4つ目は精米水車。当時、京都市中では市内で消費する米の半分しか精米ができませんでした。琵琶湖疏水を利用した水車の導入で、全市内の精米ができるようになりました。5番目は防火用水。応仁の乱や幕末のどんど焼きなどで、京都は何度も大火に遭っているので、防火用水が必要でした。6番目は日照りで井戸水が減るので、井戸水の涵養(かんよう)のために水を引く必要がありました。最後に小川頭に水を通して堀川に流すことで、たまった汚れ水を洗い流し衛生的にする狙いもありました。

アーチが美しいれんが造りの水路閣(京都市左京区)

 第1トンネルは長さが2436メートルもあり、完成を危ぶむ人が多く難工事でした。日本で初めて立て坑を利用した工法を採用し、れんがや材木も直営で生産して、ほとんど人力だけで工事を進めました。

 琵琶湖疏水は着工から5年後の1890(明治23)年に完成しました。日本で初めて産業用に水力発電を採用したおかげで産業が活発になり、日本初の路面電車も走り、京都は活力を取り戻しました。

 田邉博士は、工部大学校、今の東大を一番の成績で卒業されました。21歳で京都府に採用され、疏水工事の責任者として23歳から28歳までの間に疏水を完成させました。完成後は東大教授を6年間務めた後、関門トンネル、大阪の地下鉄計画などを手掛けました。

 その後どんどん電力需要が伸びて発電能力が追いつかないため、田邉博士が第2疏水を増設しています。1908(明治41)年ごろから着工され、1912(同45)年に蹴上浄水場と同時期に完成しています。第2疏水の新設と発電所の増設、市営上水道の敷設、道路整備と市電の運転開始といういわゆる「京都市三大事業」で、京都の人口は増加し、産業は急速に回復、発展しました。

 田邉博士の工事記録の表紙に次のような英文が書かれています。

 ”It is not how much we do, but how well.The will to do, the soul to dare.”

 「たくさんするということではなく、良い仕事をする、成果を上げることが大切だ。やり遂げようとする意志、あえて挑戦しようとする意志、精神が大切だ」と書かれています。これは工部大学校のプリンスパル、ヘンリー・ダイアーというスコットランド出身の恩師の言葉です。これを座右の銘にして、田邉博士は仕事を進めたといわれています。

<京都検定クイズ>
(1)琵琶湖疏水が完成したのはいつですか。
(2)工事を担当した土木技師は誰ですか。
(3)琵琶湖疏水の目的を3つ挙げなさい。
答えは講演抄録の中にあります。

[京都新聞 2006年7月5日掲載]