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京都検定現地講習会

第3回 島原 財団法人角屋保存会理事長・中川清生さん

 明治期に日本の歓楽街はその業務内容によって「花街」と「遊郭」に分けられました。歌舞音曲を供して遊宴する街を「花街」、歓楽のみの場は「遊郭」と呼ばれます。「遊郭」は、江戸初期に官命によって囲われた地域で、官許により傾城(けいせい)町の営業を行った地域の俗称です。しかし、京都の島原は東京の吉原とは異なり「花街」として発展しました。

 島原は公家や武士、有力町衆などが太夫の歌舞音曲を楽しむほか、茶の湯や俳諧の寄合(よりあい)などの舞台となった一大文化サロンで、明治6年には歌舞練場も備え、「青柳踊」や「温習会」の上演も行っています。島原には東西に2つの門があり、誰もが出入りできる開放的な地域だったようです。新選組の前身、市中見回り隊を組織した清川八郎は、ここで母親孝行をしていますし、「灯籠(とうろう)」という行事では、「我も我もと(中略)人皆見に行侍る」と、本居宣長も『在京日記』に記しています。

 また、「太夫」と「花魁(おいらん)」も似て非なる言葉。前者は「傾城」、つまり芸妓で、後者は娼妓(しょうぎ)です。太夫とは「能太夫」、「舞太夫」と呼ばれた傾城がもっとも巧みな人という意味で、舞や茶、和歌、俳諧、そして琴や琵琶などの芸の最高位の呼称で、豊かな教養が求められました。また、外見上も太夫と花魁は違いがあり、太夫は前で帯を心の文字に結び、花魁は前で垂らして結びます。

 ところで、「島原」は地名ではなく、ニックネームです。現在、東は大門から西の千本通、北は中央市場青果棟の南側から南は正面通南一筋目の道までの一画が島原で、かつては朱雀野と呼ばれる田園地域でしたが、寛永18(1641)年、それまでの「六条三筋町」から傾城町全体が移住し、新しく屋敷ができたため、「新屋敷」が地名となりました。新屋敷には「中之町」「上之町」「中堂寺町」「太夫町」「下之町」「揚屋町」の6つの町があります。六条三筋町は、南北は五条から六条通、東西は室町から新町通の一画であったそうですが、ここから狭い道を通って、傾城たちがぞろぞろと西へ西へと大移動する様(さま)は、ちょうどその4年前に九州の島原で起こった「島原の乱」を彷彿(ほうふつ)とさせたことから、いつしか人々は「島原」と呼ぶようになったということです。

縁起物の扇面58枚を天井に張った2階扇の間(京都市下京区)

 さらにさかのぼれば、天正17(1589)年、柳馬場二条に官許の傾城町ができたのですが、これは御所に近すぎるということで、慶長七(1602)年に六条三筋町に移転。六条も洛中で、公家の家も多く、ある太夫が摂家の北の方に間違えられるといった事件もあったとかで、当時としては辺ぴな朱雀野へ移転命令が出たわけです。

 島原には「揚屋」と「置屋」という業種があります。この2つは業種が異なり、「揚屋」は遊宴の場として大座敷と大厨房(ちゅうぼう)を備え、料亭の機能を果たします。「置屋」は太夫や芸妓を抱えて教育し、揚屋へ派遣する業種。島原の「輪違屋」は、置屋です。これは「送り込み制」と呼ばれ、祇園などの花街に残るシステムです。

 揚屋では宴会のほか茶会や句会などさまざまな寄合が行われました。文化サロンだったのです。ですから、座敷に面して庭を配し、必ず茶室が設けられています。そして大きな厨房、これが揚屋建築の特徴です。

 当初角屋は、間口が狭く奥行きの深い、いわゆる京町家の様式で現在の3分の1くらいの規模でした。1階を厨房と住居、2階が客間(座敷)となっていましたから、客を2階へ揚げることから「揚屋」と呼ばれるようになったのです。現在の規模に拡張したのは天明期のことで、宝暦年間には京と大坂の揚屋はどんどん大きくなっていきます。

 座敷は、1階に大広間。2階には「緞子の間」、「翠簾(みす)の間」、「扇の間」など、それぞれの趣向に沿った室名のある座敷が11室。それぞれに名だたる絵師が襖(ふすま)絵や天井絵を描き、床、壁、天井、欄間などの細工も粋を凝らし、贅(ぜい)を尽くした建築で、中国風の座敷もあります。庭は臥龍松を点景とした枯れ山水。2つの茶室も含め、公家や武士、町衆などが寄り合い、京のもてなし文化をはぐくんだ拠点でもあります。

<京都検定クイズ>
(1)明治期に歌舞音曲を供して遊宴する街をどう呼びましたか。
(2)「太夫」の定義と外見上の特長は。
(3)「島原」の名前の由来はどこから来ましたか。
答えは講演抄録の中にあります。

[京都新聞 2006年10月3日掲載]