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土地の伝承守ることが文化

葵祭支えた「変わらぬ心」

下鴨神社宮司・新木直人さん

「一つの事柄を大事にするのが京都人の心」と話す新木宮司

 極彩色の絵巻物さながらの鮮やかな行列巡行を繰り広げる葵祭が、5月15日に営まれる。1500年近く絶えず続いた祭事と、戦乱や政情の波に揺さぶられながら何度も復活した行列に、下鴨神社の新木直人宮司は「1つの事柄を大事にするのが京都人の心根」をみる。その根底には「土地が持つ文化的な伝承を保全する思いの強さがある」と話す。


 糺の森に生まれ、生活しているので、こんなものかと思うのですが、海外や東京、ほかの地方に出かけ、「京都です」というと興味を示される。あこがれのようなものを感じているのが伝わります。

 下鴨神社は狭くはなりましたけど、古代の様子を残す糺の森の中にある。古代人は樹木1本、草1つ、年々徐々に成長する大いなる自然に、神を見ました。しかし現代、神社はビルの谷間に追いやられ、徐々に自然と離れて、本来の姿から離れる現状があります。

 歴史を見ると、糺の森は、何度も危機に陥りました。鎌倉期の承久の乱や室町期の応仁の乱、幕末の動乱で戦禍を受け、最近でも1935(昭和10)年の水害で、被害を受ける。その度に森は長い時間をかけて復興してきました。その際に神社の努力もですが、市民の力添えが大きかった。洛中の人口増加で洛外に街が広がる過程でも、森は保全されました。

 下鴨は、川端康成や夏目漱石が借り住まいをし、横山大観が何度も森を描きに訪れ、「文化村」の土地柄を呈しました。小川のせせらぎや鳥の歌声を聞きながら、心静かに自分を見つめたのでしょう。こうした場所の大切さを忘れないのが京都の人々です。文化を守ることは、土地に根差した伝承を保全することであり、その意識が非常に強い。

<葵祭は1500年近い歴史があるとされ、十二単(ひとえ)に彩られた斎王代とともに、街を練り歩く華やかな行列が挙行される。>

 祭事は絶えず続きますが、行列は応仁の乱以降200年途絶えるなど、戦乱や遷都を機に度々中断する。総勢500人の行列を時を越えて復興させることはかなりの努力が必要です。一つの事柄を大事にするのが京都の心なんでしょう。

 本来の日本の祭りは、老若男女誰でも参加できる。その典型が葵祭と言えます。最近住み始めて来た人も、何代も京都人である人も、普段はなんやかんや言いながら、祭りとなれば一生懸命になる。それは千年たっても変わらない。森、祭り、人々の思い…。その「変わらないこと」こそ「あこがれ」を生むのではないでしょうか。

 最近よく取り上げられる繁華街の街並みの変化も、同じ思いを持ち、根源となる京都らしさを示してほしい。懐古的なことがいいわけではありませんが、祭りに向かうような心意気で「京都町衆の商いの街」を取り戻してほしいと思いますな。

<京都は学問の街と言われる。市内の大学は24を数え、世界中から多くの研究者が集まる。新木宮司は糺の森から、学びの文化を発信したいと考えている。>

 平安時代のお公家さんの日記を見ると、鴨社政所、公文所という言葉が出てくる。当時は朝廷の出張所である政所が糺の森にあり、社領を統括していた。そこに学問所がありました。今の大学のような高等教育だけでなく、寺子屋的な読み書きそろばんを教える場所でもあったのです。

 現代は近隣の人にも関心を払わなくなりつつある時代です。社寺についても、神社は神主に、寺院は僧侶にまかしておきなはれ、というのが今の市民感覚ではないでしょうか。

 これからは神社の立場から、隣近所に誰が住んでいるか、どんな遊びをしたらいいかなど、小学校や幼稚園では習わない社会的な勉強をできる場所を作りたい。現在、文化講座を年4回開催していますが、NPO(民間非営利団体)方式で市民生活の基礎を養う場所を今年中には立ち上げたいと思っています。

あらき・なおと 1937年京都市生まれ。京都国学院卒。生国魂神社(大阪市)権禰宜(ごんねぎ)、下鴨神社権宮司を経て、2002年から現職。日本人の自然とのかかわりや文化に造詣が深い。著書に「糺の森/鴨川」など。

[京都新聞 2006年4月28日掲載]