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月の時間に浸る

今年は旧暦に閏七月がはいるため、中秋が新暦の10月6日にずれ込んでいる

 冴(さ)え冴(ざ)えとした秋の夜空を、煌々(こうこう)と照らす満月。一説には、日本人は縄文時代から月をめでてきたという。古来、月は人の心を映す鏡として、数々の和歌や古典文学に詠まれてきた。しかし、そうした繊細な感性を、時間に追われる現代人は忘れがちだ。中秋の名月(10月6日)が近づく。月とともに暮らした先人たちの世界をひもといてみた。

 月見の風習は東アジア全域にあり、サトイモの収穫を祝った農民祭が起源とされる。今でも中秋の名月は「芋名月」と呼ばれる。

 日本の月見を調べた大阪市立科学館の嘉数次人主任学芸員は「農漁業を営む人々にとって、種まきや収穫、出漁の時期をどう決めるかは非常に重要で、1カ月周期で分かりやすく満ち欠けする月が暦の基礎になった。収穫祭には、明るい満月の夜が選ばれたのでしょう」と話す。

祭事から宴に

 中秋とは、明治の初めまで使われた旧暦の秋(7−9月)の真ん中にある8月15日を指す。旧暦では、新月の日を毎月1日(朔=ついたち)とし、15日ごろ必ず満月になる。秋は空気が澄み、月や星の観望には最適だ。

 やがて月見は、宗教的な祭事から、酒を飲んで和歌を詠む宮廷の宴会に性格を変え、貴族社会に定着した。日本には、遣唐使を通じて中国から伝わったともいう。

 文献に現れるのは、醍醐天皇が延喜9(909)年に詩歌や管弦を催したとする「日本紀略」が最も古い。だが、延喜元年に太宰府に流された菅原道真が、御所の清涼殿での月見の宴を思い出す漢詩を残しており、宮中ではもっと早くから催されていたようだ。

 月見の名所・大覚寺(右京区)では、平安初期に嵯峨天皇が大沢の池に船を浮かべて月見を楽しんだと伝わり、池に面した本堂に観月台がある。同寺関係者は「高貴な方が、空を見上げずに月見ができるよう、小高い観月台を作り、池に映った月を楽しめるようにしたと伝わります」。

 平安文化に詳しい村井康彦京都市美術館長は「月は、花と並んで日本人の美意識を最も触発してきた。月にいろいろな情感を込め、和歌などの表現も洗練されてくると、月を見る際の『しつらえ』が重要になり、建築や工芸品にも大きな影響を与えた」と指摘する。

建築にも影響

 「月」を意識した最も名高い建築は、桂離宮だろう。月に深い関心を持っていた桂宮智仁親王が、寛永元(1624)年中秋の「月の出」の一瞬を鑑賞するために建てたとも言われる。建物や庭園は、観月に最適な方位を計算して配置されている。

 月見の宴が、都市の庶民にまで広がったのは室町時代以降。収穫祭と観月の宴が混合し、ススキや団子、季節の野菜を飾るおなじみのスタイルが出来上がったようだ。嘉数学芸員は「大阪では、豪商が川に船を浮かべて月見の宴を開いた記録もある」という。

 今年、旧暦の8月15日にあたるのは10月6日。京都では、各地で観月会が催される。夜空を見上げる機会がほとんどない現代人にとって、月や自然、季節とのつながりを感じ直すのに絶好の仕掛けと言えるだろう。

[京都新聞 2006年8月28日掲載]