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 京都新聞は、観光都市京都のパワーアップを目指して企画「観光・京都おもしろ宣言」をスタートさせました。人々の価値観はいま、物の豊かさから心の豊かさに移りつつあります。京のまちは伝統、歴史、自然環境と、どこを取っても格別な魅力をたたえてきました。京都新聞はそうした魅力に光を当て、京都を元気にする紙面を多彩に展開するとともに、フォーラムやイベントの開催、伝統文化体験の案内など、さまざまな「おもしろ」企画を発信していきます。

京野菜 復活への奇跡

収穫を控え、京野菜ミズナが生き生きと育つ(南丹市八木町・宅間繁美さんのビニールハウス)

 みず菜、壬生菜にえびいも、聖護院だいこん−。これから冬にかけて旬を迎える京野菜は多く、その色や味わいは日を追うごとに深みを増していく。京野菜は高値で取引される高級食材だが、意外にもブランド視されるようになったのはここ20年ほど。絶滅が危惧(きぐ)された伝統の野菜が、ドル箱野菜に急成長した背景には行政やJA、そして料理人、農家による「仕掛け」があった。

東京進出、ブーム呼ぶ

 京野菜を扱う錦市場の青果店「川政」(京都市中京区)。色鮮やかな野菜が並ぶ店の奥で、宅配用の箱に京野菜を詰める作業が行われていた。送り先の大部分が首都圏の料理店や個人宅で、1日100件以上にのぼる。

 経営者の野川邦夫さんによると、それまで1日数件だった他府県からの宅配注文が増えたのは10年ほど前から。「情報の中心地・東京で売れ、品質への評価が全国区にまで高まった」とみる。

 歴史をさかのぼれば平安期にまで行き当たる京野菜だが、戦後は病気に強く、収量が多い品種への転換が進み、80年代半ばには多くが絶滅寸前の状態に陥った。皮が薄くて肉質の軟らかい山科なす、根の先端がタコの足のように枝分かれしている堀川ごぼうなど多くの品種が生産量、面積ともに激減。京の食文化を下支えしてきた京野菜は、規格がそろえやすく大量生産に向いた新品種に取って代わられていった。

 危機感を抱いたのが、京料理店の若手後継者らでつくる「京都料理芽生会」の会員たちだった。京野菜の食べ方を提案する料理教室やシンポジウムを開き、京野菜の復活を呼びかけた。活動が新聞やテレビで取り上げられるようになると、首都圏を中心に「京野菜ブーム」が起きた。80年代のグルメブームの波に乗り、京野菜が持つ個性的な外見や伝統がにわかに脚光を浴びた。

 折しも、国による転作配分面積が拡大し、コメ以外の作物への切り替えが求められていた。京都は農地面積が小さく、他府県と同じ作物を作っても生産量で負けてしまう。他府県にはないもの、収益性の高いものを作る必要があった。

首都圏向けに、京野菜が次々と箱詰めされていく(京都市中京区錦市場・青果店「川政」)

 市場競争力が高い転作作物を探していた京都府や府内のJAにとって「京野菜ブーム」は追い風となった。「東京には『京もの』へのあこがれがある。昔ながらの良いものを着実に受け継いでいるという『京都』のイメージが色濃い京野菜は、必ず東京で売れる。そんな予感が関係者の間に広がっていた」。当時、府園芸経済課長としてブランド化と東京出荷の計画づくりに携わった小野浩さん(65)は振り返る。

 府やJAの予想通り、「京のブランド産品」と銘打った京野菜は、東京進出を機に驚異的な販売実績を挙げる。出荷が始まった90年度には約1億800万円(約200トン)だった売り上げは右肩上がりで成長、03年度には約15億5100万円(約2100トン)にまで伸びた。品目・産地も7品目18産地から21品目105産地に増えた。

 「2010年度には20億円台へ」−。府は新たな目標を掲げたが04年度、「京のブランド産品」は突然伸び悩みを見せる。売上高は2年連続で下降し、05年度には11億円を切った。台風23号禍など自然災害が続いて出荷量が落ちたところに、茨城や滋賀など他府県産「京野菜」が押し寄せたためだ。広大な農地面積を誇る他府県の農家が、種子を入手して大量生産した「京野菜」が、安値で取引され、本家本元の京都産を脅かしている。

 1200年の伝統や独特の味、形といった個性を強調することで活路を見いだした京野菜に今、再び大量生産の脅威が立ちはだかっている。絶滅寸前から全国ブランドへ押し上げた「仕掛け」からおよそ20年−。京都の京野菜が次代を生き抜くために、新たな「仕掛け」が求められている。

[京都新聞 2006年10月9日掲載]