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 京都新聞は、観光都市京都のパワーアップを目指して企画「観光・京都おもしろ宣言」をスタートさせました。人々の価値観はいま、物の豊かさから心の豊かさに移りつつあります。京のまちは伝統、歴史、自然環境と、どこを取っても格別な魅力をたたえてきました。京都新聞はそうした魅力に光を当て、京都を元気にする紙面を多彩に展開するとともに、フォーラムやイベントの開催、伝統文化体験の案内など、さまざまな「おもしろ」企画を発信していきます。

紅葉の都を守る

東福寺の通天橋から、谷一面の紅葉を楽しむ観光客(京都市東山区)=資料写真、2004年撮影

 11月は年間最も多くの観光客が京都を訪れる。お目当ては紅葉。京では平安のいにしえから貴族が色付く葉をめでてきた。ただ、葉に象徴されるようにモミジの木は繊細そのもの。放っておくと虫が食ったり、ほかの木の勢いに負けてたちまち衰える。紅葉の名所が名所であり続けるには今昔さまざまな仕掛けがあった。

 東山区の東福寺。鎌倉時代に寺を開いた聖一国師が中国・宋よりトウカエデを持ち帰り、今もその子孫が色付く。当初は桜もあったが、今から6百年前に切ったそうだ。永井慶洲寺務長(56)は「桜は花見で人々が遊興にふけて、修行の妨げになるので切ってほしいと僧が願い出たそうです」。

 そんないわれのある庭を長年手入れしているのが造園業者の高雄憲幸さん(49)。境内を一緒に歩き、管理で難しいのは何かを聞くと、高雄さんは「手を入れながらも自然のままのように見せること」と答えた。例えば人気のある通天橋からの眺めを保つには伸びすぎた枝を切ることもある。ただ、あくまで最小限にとどめ、自然を尊重しながら美を演出するのだ。

計画的植樹続けて

 確かに自然そのものに見え、奧に植樹の歴史や工夫を秘めた京都の紅葉は多い。清水寺(東山区)では「清水の舞台」の前を錦雲渓(新高雄)、後を紅葉谷と呼ぶ。一面に紅葉が広がるからだが、この景色や名称は明治30年前後に生まれた。

 当時、東京遷都などで活力を失っていた京都を観光面で復興しようと、境内の雑木を切り、モミジを計画的に植え、景観をつくり上げたのだという。清水寺学芸員の横山正幸さん(83)は「それ以前から清水寺は桜の名所として知られていたが、紅葉の名所としても認知されたのは明治以降では」。

 昨秋、JR東海のCMで注目を集めた西京区の善峯寺も、周りの山はもともと雑木だったが、大正から昭和初期に庭師の七代目小川治兵衛が5百本のモミジを植えた。掃部光昭副住職(54)は「錦雲が広がる極楽浄土をイメージして植えたそうですが、今では自然のままにみえるでしょう」。

今月20日に始まった高台寺のライトアップ。まだ葉は青いが、日々色付いていく。今年は12月3日まで(京都市東山区)

 各寺とも防虫や施肥などモミジの色付きを良くする方策も欠かさない。左京区の永観堂は庭にスプリンクラーを配し、夏に自動散水することで葉を乾燥から守っている。

村人が手入れ工夫

 渓谷などに自生する紅葉にも人々の支えがある。右京区高雄。神護寺などの地元の寺や観光業者でつくる高雄保勝会は年数回、総出で下草を刈り、モミジに巻き付く他の木のツルを切って歩く。山崎由喜男会長(58)は「モミジは他の木より生長が遅く、手をかけないと育たない」。

 山の手入れは今に始まった話でない。神護寺など地元の寺の信徒総代を代々務める山本忠彦さん(58)宅には江戸時代の山の管理法を定めた絵図が残る。山本さんは、それを広げて「村人がいかに里山を守り、モミジを大切にしてきたかが分かる」と説く。

この形を悠久に…

 16世紀の作とされる国宝「高雄観楓(かんぷう)図屏風(びょうぶ)」(東京国立博物館蔵)には紅葉を楽しむ人々に茶を振る舞う男が描かれている。そんな昔から、村にとって紅葉は貴重な観光収入源で、だからこそ山が大切に守り伝えられてきたのだろう。京の紅葉は人と自然が共にはぐくみ、名所としての歴史を形作ってきた。そして、この形は悠久に受け継がれていくのだ。

[京都新聞 2006年10月30日掲載]