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 京都新聞は、観光都市京都のパワーアップを目指して企画「観光・京都おもしろ宣言」をスタートさせました。人々の価値観はいま、物の豊かさから心の豊かさに移りつつあります。京のまちは伝統、歴史、自然環境と、どこを取っても格別な魅力をたたえてきました。京都新聞はそうした魅力に光を当て、京都を元気にする紙面を多彩に展開するとともに、フォーラムやイベントの開催、伝統文化体験の案内など、さまざまな「おもしろ」企画を発信していきます。

節分の追儺式

ほら貝と太鼓に合わせ鬼がおどろおどろしく動き回る鬼法楽(2006年2月3日、京都市上京区・廬山寺)

 節分といえば鬼に豆まき。家庭では「鬼は外、福は内」の声とともに、子どもたちがはしゃいで豆をまく姿が見られる。伝統が息づく京都は、社寺ごとに追儺(ついな)式(鬼やらい)が催され、行事内容も多様なら、登場する鬼も個性豊かで面白い。代表的な節分祭をいくつか取り上げながら、現代人がとかく忘れがちな追儺式の意味や鬼の由来を、あらためて探ってみた。

 節分とは、もともと季節の移り変わる時節を指す。つまり立春、立夏、立秋、立冬の前日すべてが節分のはずだが、なぜ立春の節分だけが特別に扱われるのか。それは、旧暦で立春が1年の始まりとされ、その前日の節分を大晦日(みそか)として、年を分ける重要な意味があったからだ。

宮中行事が民間へ

四つ目の方相氏に追われ逃げまどう鬼(2006年2月2日、京都市左京区・吉田神社

 節分行事は、豆をまいて戸口に焼嗅(やいかがし)(ヒイラギの枝にイワシの頭を刺すなど)を掲げるなど、災厄を払う風習が一般的。現在の追儺式は、中国から七世紀末に伝わって宮中行事となり、後に社寺や庶民の間に広がった。

 周代の官制を記した書「周礼」によると、追儺式には方相氏(ほうそうし)と称する呪術(じゅじゅつ)師が登場する。平安時代の宮中儀式を記した「延喜式」では、この方相氏が矛と盾を打ち鳴らし、群臣が桃弓で鬼を追い出す。穀物や果実には邪気をはらう霊力があるとされ、追儺に豆や桃が使われるのも、この霊力が関係するといわれる。

 伝統文化の息づく京都は、追儺式でも全国的に知られた社寺が多く、行事内容も多彩。吉田神社(左京区)は2月2日から3日間節分祭を開く。追儺式は初日午後6時から。「ウオーッ」と暴れ回る赤、青、黄の3匹の鬼を、黄金四つ目の仮面を着けた方相氏が大声を上げ、矛と盾を打ち鳴らして追い払う。その後、儀式を指揮する公卿である上卿(しょうけい)が桃弓で矢を放ち、邪気を一掃する。昭和の御大典を機に、平安の宮中儀式に則して復活された。

「退治」ではなく…

 不思議なのは、矢が鬼に向かってではなく、門外の言わば中空に向かって射られること。そういえば、この追儺には鬼に豆を投げる場面もない。つまりは、鬼を退治するのではなく、退散してもらうという形式なのだ。同神社権禰宜(ごんねぎ)の箕西孝誠さん(32)は「邪気を消滅すればいいというのではなく、災厄に際して自らを戒めるという側面に思いを致すべきなのです」と指摘する。

壬生狂言『節分』。鬼が女主人に豆をまかれてユーモラスにひっくり返る(2006年2月2日、京都市中京区・壬生寺)

 京の表鬼門が吉田神社なら、裏鬼門に当たるのが壬生寺(中京区)。2日と3日、重要無形民俗文化財の壬生狂言を上演する。演目『節分』は、旅人を装った赤鬼を女主人が追い払う筋で、鬼が人間の女にだまされる倒錯的ユーモアが面白い。

 もともと壬生狂言は、融通念仏が理解しにくい大衆のためにできた無言の仏教劇。松浦俊海貫主(72)は、「『節分』上演も、元は春だけだったが、追儺の意義を広めるために先代貫主が終戦後、2月にも始めた。楽しみながら世間の因果を学び取れるよう工夫されている」と言い、大衆の寺にふさわしい行事であることを強調する。

 一方、鬼法楽(鬼おどり)で知られる廬山寺(上京区)。千年以上前に寺の開祖・元三大師が鬼を降伏させた故事にちなむ独特の追儺式だ。ほら貝と太鼓に合わせ、赤、青、黒の鬼がおどろおどろしく堂に押し入るが、こちらは方相氏ではなく僧侶の護摩供によって退散させられる形式。

 「護摩焚(た)きは、護摩木とともにさまざまな供物を焼いて煩悩を消すことを意味する。鬼の退散はまさに人心に巣食う邪気が払われる表徴なのです」と町田泰宣管長(63)。着ぐるみの鬼が登場するのは大正期で、それまでは鬼面を着けて演じていた。

[京都新聞 2006年1月22日掲載]