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春を待つ花街の踊り

4月の本番を前に緊張感が漂う京おどりの衣装合わせ(2月16日、京都市東山区・宮川町歌舞練場)

 春は舞踊の季節だ。京都の花街では都をどりを皮切りに、京おどり、北野をどり、鴨川をどりと続き、芸舞妓たちが妍(けん)を競い合う。「どこの舞台も同じ」と思われがちだが、最も古い都をどり誕生の時から仕掛けがほどこされ、各花街に広がる中でも、ほかにない踊りの特徴を出そうと、仕掛け人たちが工夫を凝らしてきた。踊りの背景を知れば、ひと味違った景色も見えてくる。4、5月の本番を前に準備の進む花街を訪ね、舞台裏をのぞいた。

 「うまくできている。順調だ」。2月5日、宮川町歌舞練場(京都市東山区)で進んでいる京おどりの舞台づくりを眺め、谷村陽介さん(79)は、思わず顔をほころばせた。

 谷村さんは、1962年から京おどりの作と演出を手掛けている。約60分の上演時間の中でスピード感のある舞台展開を心掛け、常に新たな試みに挑んできた。

 中でも観客を驚かせたのは、十数年前に初めて取り入れた「屋台くずし」。花街の踊りは、芸舞妓の優雅さを見せるため舞台仕掛けは少ないが、谷村さんは歌舞伎をヒントに、セットの建物や岩などを崩し、迫力ある舞台を演出した。「静的な舞踊に動的な要素を盛り込み、お客さんを退屈させないようにすることが大切。最も伝統のある都をどりに少しでも近づきたい」と言う。

 花街の踊りは、4月1日に開幕する祇園甲部歌舞会(東山区)の都をどりから、宮川町(同)の京おどり、上七軒(上京区)の北野をどり、先斗町(中京区)の鴨川をどりと続き、それぞれの歌舞練場で開かれる。祇園東(東山区)の祇園をどりだけは秋に行われる。

北野をどりの舞踊劇を演じる芸妓たち(2005年4月14日の前夜祭、上京区・上七軒歌舞練場

 最も歴史のある都をどりの始まりは、1871(明治4)年の京都博覧会がきっかけだった。東京遷都で衰退しつつあった京都の繁栄策として博覧会が開かれたが、冬だったために人出が少なく、人気がなかった。

 打開策を練るため、京都府参事で後の知事・槇村正直や側近の明石博高が、祇園の茶屋「一力」の主人杉浦治郎右衛門らと協議。京の活性化を目指して、花街が博覧会に協力することになる。

総踊り盛り込む

 杉浦から相談を受けた京舞井上流の片山春子(三世八千代)は、伊勢古市の亀の子踊りを参考に、芸舞妓による集団舞踊の振付けを考えた。それまで1−3人の座敷舞だった京舞に、レビュー形式の総踊りを盛り込んだのは画期的だった。

 「京都博覧会沿革誌」(1903年)などによると、新しい舞に合わせ、槇村は「都踊十二調」を作詞。翌年春に再び開かれた博覧会の余興「附(つけ)博覧」として、祇園・新橋の茶屋で舞妓32人のほか、唄や笛、鼓などの計53人が1日に5回公演、好評を博したという。

 「当時は文明開化の時代。槇村の京都近代化政策とも重なり、近代にふさわしい文化として都をどりが考案された。日本独特の文化でありながら、欧米にも通じる普遍性のあるダンスとして、華やかな花街のイメージをつくり出した」と、京都の近代史に詳しい高木博志京都大助教授(47)は指摘する。外国人からは「チェリーダンス」と呼ばれ、春の踊りとして定着していく。

「チェリーダンス」と呼ばれた都をどり(昨年3月31日の大ざらえ、東山区・祇園甲部歌舞練場)

 この後、都をどりは歌人の吉井勇が1950年から10年間、長唄や地唄を作詞。吉井と親交が深かった文豪・谷崎潤一郎も狂言「墨塗平中(すみぬりへいちゅう)」を執筆するなど、京都の伝統芸である京舞井上流とともに注目を集め、古都の風物詩になる。

舞踊劇取り入れ

 一方、先斗町の鴨川をどりは、1875(明治8)年の第4回博覧会から参加した。当初、京舞篠塚流の篠塚文三が振付けを担ったが、昭和に入り、指導者の舞踊の流派が変わるに伴って舞台の内容も変化する。

 1920年代から若柳流になり、戦後は、元歌舞伎役者の初代尾上菊之丞による尾上流(東京)の舞踊に。菊之丞は純舞踊の都をどりに対抗し、歌舞伎のようにドラマ性やせりふのある舞踊劇を初めて取り入れた。これまでに「太閤記」や「西遊記」などが演じられ、分かりやすく面白いと評判になった。

 また、各地の民謡をテーマにした舞踊をはじめ、地域の子どもによる少女ダンスや洋楽なども披露した。47年から舞台美術に携わる巻本光造さん(76)は「毎年、新しい特色を出していこうという気持ちが強かった。民謡を取り入れた年は、会場いっぱいに観客が詰め掛け、追加公演も行った」と振り返る。

 都、鴨川をどりの人気を受け、50年に宮川町の京おどり、52年に上七軒の北野をどりも始まる。京おどりは大胆で豪華な舞踊が名物で、北野をどりは演劇的な舞台が特徴になっていく。

[京都新聞 2006年2月19日掲載]