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梅を愛でる

見ごろを迎えた北野天満宮の梅苑の梅。かれんな美とふくいくとした香りが春の喜びを誘う

 梅の季節。古来の日本では、梅が桜よりも歌に多く詠まれるほど主流の春の花だった。京都には梅にゆかりのある社寺が多く、梅を愛(め)でながら春到来を歓迎する風雅な祭事も催される。代表的な社寺をいくつか巡り、梅との縁や祭りの由来などを尋ねた。

 市内随一の梅の名所、北野天満宮(上京区)。その数50種約2千本を誇る。祭神の菅原道真公が幼少時から梅を大変に好み歌もいくつか残したことなどで、梅との縁が深い。国宝の「北野天神縁起絵巻」(1219年作成・藤原信實画)には、学問に励む少年の道真公とともに、紅白の梅の絵が描かれている。

神が降りる木

梅の花を略図化した「梅鉢紋」が入った北野天満宮のつり灯籠(とうろう)。中央の一つの小円を五つの大円が囲む形が特徴

 同宮のシンボルマークに当たる神紋も梅。「梅鉢紋」と呼ばれ、梅花を略図化したものだ。境内の複数の建物にこの梅鉢紋やより写実的な梅の絵図が描かれている。また、社殿にも梅をかたどった装飾具が多数ある。梅は「枝を通して神が降りる『神木』」と、玉井清文権禰宜(ごんねぎ)(36)はいう。

 道真公の命日にあたる2月25日には、恒例の「梅花祭」が営まれた。九州・太宰府で失意の最期を遂げた道真公の霊を鎮めるため、平安後期に始まったとされる。

 霊を「なだめる」の意から当初は菜の花が供えられ「菜種御供(ごくう)」と呼ばれたが、明治の改暦以降は梅の花に替わり「梅花御供」となった。筒状にした仙花紙に玄米を入れ、厄年にちなんで白梅42本と紅梅33本を挿し立てた独特の神饌(しんせん)「紙立(こうだて)」を供える。また約40キロの蒸米を大小の木おけにとり分けて盛った「大飯(おおばん)」と「小飯(こばん)」も合わせて献上された。

北野天満宮の「梅花祭」で営まれた神事。紅白の梅などが神前に供えられた(2月25日午前)

ロマンスの薫りも

 小野小町ゆかりの隨心院(山科区)の紅梅は、「はねずの梅」の名で地元民から親しまれている。はねずは、昔の言葉で薄紅色の意。約2百本が植えられた梅林で、遅咲きの紅梅が満開を迎える3月下旬に「はねず踊り」が披露される。

 亀谷英央執事(45)によると、はねず踊りは、小町を慕って百夜通いの誓いを立てた深草少将が、はねずの咲く小野の里に通い詰めた、という言い伝えに基づく。江戸・元禄のころに始まり、大正末期まで地元の女児が踊っていたという。その後廃れたが、1973年に地元に保存会ができ、復活した。

神苑の池面に映えて咲く、梅宮大社の梅。同大社では梅が「神花」とされている

 「小野の梅ノ木はねずでござる 雪がやんだらもう花つけて 春やめでたのうぐいす鳴けば…」。はねず色の小袖を着て、紅梅の枝を挿した編み笠(がさ)をかぶった地元の児童が童歌を歌い、踊る。「はねずの梅の開花に春の訪れを感じて喜ぶ意味も歌には込められている」と亀谷執事はいう。

 梅宮大社(右京区)がまつる四祭神の一神は「木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)(酒解子神(さかとけこのかみ))」。「木花は梅のことを指す」と話すのは橋本以裕宮司(67)。

はねず色の小袖に、紅梅の枝を挿した編み笠姿で地元の女児が優雅に踊る、隨心院の「はねず踊り」(2004年3月)

 奈良時代の創建以来、同大社では梅が「神花」とされてきた。嵯峨天皇の妃(きさき)の壇林皇后が大社を現在地に移した際、宮中から持ってきた梅を境内に植えた、との言い伝えも。梅苑には、35種約550本の梅がある。橋本宮司ら過去数代の宮司が集めてきた。

 木花咲耶姫命が授子神でもあることにちなみ、「産」と「梅」をかけた「梅産(うめうめ)祭」を5年前から始めた。3月初旬に催す同祭では、梅苑の梅から作られた梅ジュースを来訪者に無料で振る舞い、梅をゆっくり愛でる機会を提供している。

[京都新聞 2006年2月26日掲載]