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 京都新聞は、観光都市京都のパワーアップを目指して企画「観光・京都おもしろ宣言」をスタートさせました。人々の価値観はいま、物の豊かさから心の豊かさに移りつつあります。京のまちは伝統、歴史、自然環境と、どこを取っても格別な魅力をたたえてきました。京都新聞はそうした魅力に光を当て、京都を元気にする紙面を多彩に展開するとともに、フォーラムやイベントの開催、伝統文化体験の案内など、さまざまな「おもしろ」企画を発信していきます。

習い事の重さ

ほんもの培う教育を

京都永楽会主宰・福森文子氏

音楽クラブで琴を学ぶ児童たち。五感を磨く情操教育が次代の京都を担う(2005年6月、京都市左京区・錦林小)

 古典ブームの風に乗って、京都の歴史や伝統文化に対する関心が高まっている。さまざまな観光イベントや事業企画もめじろ押しだ。しかし、そのように催事が増え観光客が押し寄せるほど、売り文句になっているはずの「京都らしさ」はむしろ色あせているのではないか。「手軽に、楽しく」という現代人の需要に迎合すればするほど、古都の伝統はゆがめられていくのではないか。

 箏(そう)曲をはじめ、どの習い事でも、まず古典をしっかり体得することが、技芸練達においても、文化理解においても基本となる。ところが、現代人は常に新しいものを求め、新しいところに手を出そうとする。教える側も洋楽やポップスをアレンジして時代の波に乗ろうとする。古典ブームが広がれば広がるほど、皮肉にも古典的なものが変容していく。

 文科省が邦楽の導入を決めた関係から、あちこちの教育現場で邦楽授業をお手伝いしてきた。そこで気づいたのは、どの学校も楽器はそろっているが、教え方の基本が所によって必ずしも十分ではないことだった。日本の伝統を教える姿勢ではない、と感じた。

 本来、習い事の目的は技芸の上達だけにあるのではない。礼儀作法や周りへの気配りなど、社会の秩序にかかわるすべての要素が含まれている。しかし、その目的がいまあやふやになっている。社会の上下関係は崩れ、厳しい秩序を教わる機会も薄れつつある。かつては「束脩(そくしゅう)」といって、習い事を始める際に、師匠に技芸体得を誓って納める謝礼の習慣があった。それが「入会金」の言葉に変わったとたん、修学の厳しさを覚悟する意味合いまでもが消えてしまった。

 こうして見ると、京の観光ブームにも同じ懸念があるのではないか。京都市への観光客数は毎年記録を更新し、五千万人構想も手の届くところに来ているそうだ。観光業界の活況は喜ばしいが、ブームがもとで伝統文化の風化を招いてしまっては何にもならない。

 私は、20年以上前から海外でも活動を続けてきた。ほんもの志向の古典的演目を求められるのは、意外にもこうした外国の舞台が多い。近年、欧米で公演する機会も増えたが、その都度、観客の日本文化に対する知識量と演奏家への熱気に衝撃を受けてきた。国内でやれ古典回帰だ、日本ブームだと浮かれているうち、ほんものが分からない日本人と、分かる欧米人が着実に増えていくのかもしれない。

 伝統文化を守るには、真贋(しんがん)を見抜く「目利き」の才が不可欠だ。それは小難しい専門知識ではなく、ひとつの習い事を通して歴史の潮流を的確にとらえ、日常生活の中で体現していくような骨太の見識ではないか。そうした市井人が健在であってこそ、伝統はゆがみなく後世に伝えられる。そのためにも、京都の子どもたちには、習い事のような五感を磨く情操教育が望まれる。それが国際文化観光都市京都の次代の担い手を育てる契機になるのは言うまでもない。

ふくもり・ふみこ 京都市生まれ。箏曲家。1968年NHK邦楽技能者育成会で現代邦楽を習得。87年福森文子を襲名、母から永楽会主宰をつぐ。日本当道音楽会京都支部長。欧米などで海外公演、2000年ニューヨーク・カーネギーホールで京の邦楽家初のリサイタルを開く。

[京都新聞 2006年8月8日掲載]