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源氏物語千年紀

”舞台“で魅力 再確認

園田学園女子大教授・福嶋昭治氏

源氏物語の舞台となった嵯峨・嵐山の大堰川一帯(京都市右京区)

 正月から来年の話で恐縮だが、2008年11月1日は源氏物語にとって記念すべき日となる。1千年前の1008年11月1日の「紫式部日記」の記事が、源氏物語の存在を記録した確認できる最古の文献で、それから1千年目となるからである。それを「源氏物語千年紀」として、今年から来年にかけてさまざまな催しが計画されている。源氏物語の舞台としての京都があらためてクローズアップされる期間になる。

 源氏物語ほど、長い時代にわたって多くの読者に読み続けられてきた古典は他にない。どうしてこんなに源氏物語は人の心を引きつけてきたのか。最大の理由は、源氏物語が時がたっても変わることのない人情の機微を書き留めているからだろう。

 例えば、柏木という夫を失った落葉の宮は、夫の遺言に従って自分を世話してくれる夫の友人であった夕霧との間のことで、世間から何かと噂(うわさ)を立てられるようになる。夕霧の父親の光源氏も、紫の上という伴侶とそんなことを話題にする。紫の上は、みずからの半生を重ね合わせつつ、女性の生き方の難しさと辛(つら)さをあらためてかみしめるという所が夕霧の巻にある。

 この場面の最後で作者は、女性の生き方の辛さを紫の上がかみしめたのは「すべては女一の宮のためなり」と書いている。紫の上は、自分自身が辛かったということを問題にしているのではない。自分が養女として育てて、時の皇太子と結婚させ今や皇后になっている娘が産んだ女子が女一の宮であった。その目の中に入れても痛くないほどにかわいい孫が、自分や落葉の宮と同じ辛い人生を送るのかと思うと辛かったというのである。

 人は、自分自身の辛さは何とか乗り越えることができる。しかし、自分が替わってやりたいと思う「かわいい存在」が辛い目に遭うことは、実に辛いことなのであった。この心情は、今の時代でも真実であろう。

 源氏物語は、人を見るそんな目を持った作者が書いている。だから、私たちは源氏物語を読み続けている。その舞台が京都なのである。

 舞台の一つに嵯峨・嵐山がある。渡月橋の上流左岸は、明石の君が上京時に最初に身を寄せたところであった。明石の君の曾祖父の山荘があったからではあったが、実は、光源氏は、彼女のために都の内に邸宅を用意していた。しかし、明石の君はそこには入らなかった。たとえ光源氏との間に子供を設けていても、都に入れば、多くの女君と同じ条件で比較され最下位にしか位置づけられない「身の程」をわきまえていたからであった。

 嵯峨野なら、郊外にいるたった1人の女である。1人なら常にナンバーワンである。離れているので光源氏の訪れが遠のきがちになる、その寂しさに耐えながら、光源氏との距離を賢く保ったのであった。そんな彼女の賢さを誰よりも光源氏が一番理解していた。そして、光源氏の愛情は一層深まってゆく。住み慣れた明石の海を思いつつ、光源氏の訪れを待ち続けた明石の君には、大堰川の景観がもっともふさわしいものであった。

 源氏物語を十分に味わいつつ、登場人物の心情に思いをはせながら、ゆかりの京都の地を歩くことの楽しさと豊かさを再確認したいし、そんな意味での道案内を続けてゆきたい。

ふくしま・しょうじ 1948年生まれ。大阪大大学院修了。平安時代文学専攻。著書に「御堂関白記全注釈」「物語文学の系譜」「源氏物語五十四帖を歩く」「光源氏が見た京都」(いずれも共著)などがある。福井県越前市源氏物語アカデミー参与。

[京都新聞 2006年1月18日掲載]