赤信号で走った列車<5> 専門家
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信楽高原鉄道が導入した信号システムは、万が一、赤信号で列車が発車しても、線路上にある「誤出発検知装置」を踏むと、信楽駅と小野谷信号場を結ぶ回線の電流が切れ、対向側の信号を強制的に赤にし続け、対向列車を停車させる仕組みになっている。 九一年五月三日も、赤信号で発車したが、この装置が正常に作動したため、間一髪で惨事を免れた。しかし、事故当日の五月十四日は、この装置が作動せず、対向車両側の信号は「青」だった。
滋賀県警は、運輸省交通安全公害研究所の鉄道技術評価研究室長に信号システムの鑑定を依頼した。そのの結果、「人為的な配線が行われた可能性が非常に高い」ことが分かった。 大津地検は、事故から一年七カ月後の九二年末、誤出発検知装置の回線接続を誤操作したとして八木沢係長や、電気設備など鉄道施設を担当する山本長生施設課長、列車運行担当の里西孝三主任の信楽高原鉄道の三人を、業務上過失致死傷罪などで起訴した。 装置の理解不十分 増員もなく増便に対応 「増員もされず、信号の専門家が補充されることもなく、社内には信号システムのことをちゃんと理解できている人はだれ一人いないような状態でした」 信楽高原鉄道の運転主任の一人は、裁判所に提出した書面で、当時の高原鉄道の社内状況についてこう述べている。 信楽高原鉄道は、国鉄分割民営化で廃線の岐路にたち、滋賀県や信楽町などが株主になり、八七年に第三セクターで発足した。 事故当時、高原鉄道の常勤職員は、奥村清一常務や中村裕昭業務課長、山本施設課長ら二十人で、旅行センターを除くと、鉄道関係職員は十七人だった。列車運行の責任者である駅長役は、四人の運転主任が交代で務めていた。 奥村常務は信楽町職員出身で鉄道にあまり詳しくなく、運輸業務は旧国鉄で運転の助役をした中村課長が支えていた。山本施設課長は旧国鉄では一貫して線路の管理などに当たる保線区に所属していた。 九一年四月二十日からの世界陶芸祭の開催に伴い、高原鉄道は、主催者の滋賀県などから輸送力アップを要請される。信楽駅から貴生川駅までの十四・七キロ(単線、約二十三分)を、それまでは一日に十五・五往復だったのが、陶芸祭の期間中は、JRの乗り入れを含めて一日に二十六往復に増便された。 信号システムや行き違い場所の小野谷信号場は、輸送力アップに対応するために新設された。 陶芸祭直前の九一年三月、信号システムの説明会が、二回にわたり信楽駅で行われた。工事会社の説明が終わった後、運転主任は中村課長に「わからなかった。どうして取り扱いするのですか」と聞くと、中村課長も「わしも分からんのや。(工事会社に)個々に聞いてくれ」と答えたという。 この信号システムの新設工事の現場監督をしていたのが八木沢係長だった。高原鉄道の要請で、八木沢係長は高原鉄道に世界陶芸祭期間中、常駐することになる。 八木沢係長は裁判でこう述べている。 「私は信号装置の専門家ではなく、そのことは派遣を要請された信楽高原鉄道の関係者も承知されていました。作業については記憶が定かでなく、私は列車を出発させないよう要請しており、(高原鉄道が)信号を無視して出発することまで予測できませんでした」 |