神々の食事 伝統の熨斗鮑
伊勢の大神にお供えする神饌(しんせん)の代表のアワビ。国崎は神宮鎮座とともにアワビを納めてきた。「そう二千年変わらず」と、国崎漁協組合長の小口幸作さんはさりげない。 小口さんの案内で荒波洗う鎧崎(よろいさき)の付け根にある御料鮑(あわび)調製所へ出かけた。サザエ、アワビの殻が積み上げられている。 毎年、五月中旬から海女のアワビ漁が解禁になると、古老たちが調製所に集まり、熨斗(のし)鮑づくりにはいる。漁師の一線を退いた男たちが生アワビをリンゴの皮をむく要領でひも状にのしていく。 七百グラムのアワビで、のした長さは三メートル半にもなる。 「昔は洗面器ぐらいのアワビがいたが、最近は少ない。数と大きさをそろえるのが大変」と組合長。熨斗鮑をつくるのは、全国で国崎だけしかない。のしたアワビは天日干し、飴(あめ)色になったアワビを包丁で寸法にあわせて三種類に切り分ける。これが熨斗鮑である。 アワビは昔から百年の生を保つ長生きの貝。国崎には七十人の海女がいるが、七十歳過ぎてなお現役も珍しくない。世古きみ子さん(46)は、元気の秘けつはアワビを食べるからと、先輩たちのたくましさ、働きぶりを語る。「妊婦は目のきれいな子供が生まれるというて、アワビの腸をふんだんに食べさせられる」。神々の食事からおなかの赤ちゃんまでアワビ抜きでは成り立たないうまし国の幸である。 「昔は国崎でのしたアワビを売っていた。もともとは保存食、それが儀礼に縁起ものになった」 伊勢の神々は年間、どのくらいのアワビを召し上がるのか。小口組合長によれば、生アワビにして七百キロが国崎から神宮へ納める数字だ。 「仕上げは最上座の古老が包丁で切りそろえ、それを次席で幅広のアワビ十枚に束ねる。これが大身取(おおみどり)鮑、次に中位のアワビ五枚を束ねて小身取(こみどり)、下座では小片二十四枚を一連にした玉貫(たまぬき)鮑にする」 全国で国崎だけで生産
神宮徴古舘長の矢野憲一・禰宜(ねぎ)は「アワビは平城京の木簡に出てくるように歴史は古い。国崎なくして神宮の神饌はなりたたない。以前、日本料理の辻留のおやじさんと国崎へ行った際、おやじさんが貸してかんか、といって包丁でするするとのしたことがある。みんな、相手を知らないもんやから、おっさんうまいな、と感心していた」と、思い出を語る。 矢野さんによると、熨斗鮑は、公家文化よりも武家文化の範疇(はんちゅう)にはいる。 室町時代は祝い事で反物や刀を贈る時、アワビを高盛りにして一緒に届けた。しかし生ではかさばるから、アワビを打ちのばし、薄く広げた。国崎の方法とは違うが、こののしたアワビを末広に切り、重ねていくのが礼儀になった。敵を討つのと、打ちのばすのをかけて武家社会では打鮑が、カチグリ、コンブとともに三種の肴(さかな)になり、一般化していく。 打ちのめすなどおよそ京の雅(みやび)とは関係のない世界であっても、不老長寿、縁起ものとして、おめでたい席にアワビは欠かせない。しかし結納などでは熨斗紙かアワビの代用品を使っている。森田正京都結納協同組合理事長は「本物を使いたくても、高価でものがない。神社でさえ、よほどのお祭りでないと、本物にはお目かからない遠い存在」と、昨今の熨斗鮑について説明する。 京都市上京区の千家周辺の茶道具の店。「ええ、お茶席には熨斗鮑をつけますね。紙でなくて貝をのしたもの」 今日庵文庫を尋ねた。 「正月の飾りには本物の熨斗鮑を使うほか、初めての客のお膳には熨斗にひも状の干鮑を結んでだすのがしきたりになっている」 アワビ会席という名の料理に出合った。京料理の「六盛」が創業百周年を記念してはじめた。「特別縁起あわび会席といってますが、会席の流れの山にアワビの焼き物をつかってみた」と、店主の堀場弘之さん。アワビの使いかたは京料理よりも、素材をいかして客が焼く浜料理の感覚だ。 伝統の世界には、新旧の潮風が吹いている。 (文=粟津征二郎)
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