京料理を支える利尻昆布

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利尻冨士が見おろす海は昆布漁たけなわ
 北の果て利尻に、この夏も行って来た。ふるさとの昆布を京都で扱って以来、もう30年続く往還になる。京都市西京区桂で利尻昆布を販売する大窪健三さん(60)は、利尻・鴛泊出身。見上げる空はいつも北だ。

 「11人兄妹の5番目。母親は働きまくった。おばさんが桂で魚屋をしていて、それを頼って京都へきたのが15の時でした。そのころ利尻の海は昆布でびっしり、ウニが昆布についてボロボロと落ちた」

 新参に厳しい京都で大窪さんが利尻昆布をデパートへ納めるようになったのは、大丸の北海道物産展を最初から手伝ったのがきっかけになった。利尻の兄たちの漁連が応援した。

 島に突き出る標高1721メートルの利尻山を、なだらかな高原が取り巻き、いたるところに名水がわく。利尻、礼文と連なる最果ての2つの島は京料理に欠かせない利尻昆布を供給してきた。最近では稚内周辺の昆布も利尻昆布の銘柄にはいるため、本利尻の名称もつく。

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利尻は天日干し。いい昆布は水揚げ後、一気に乾燥させる
 利尻昆布は細くて肉が厚い。熱湯に入れても、組織が崩れず、色が出ないことから、透明なだしであることが条件の吸い物には、利尻昆布を使う。京料理のほかに忘れてならないのが、京漬けもの、千枚漬け。カブラの真っ白い生地と、ねばりは、利尻昆布に代わるものがない。

 関西、中でも京都が需要の大半を占める。錦の昆布店では、尾札部とともに利尻は高級品の札が下る。

 大窪さんの記憶にある昆布の海だった利尻も、昆布が少なくなり、養殖昆布が主流になった。利尻の養殖はロープに仮植した種苗を秋から冬の間、沖合で育て、波がおさまる春から夏に沿岸へ移動する。

 「波がうるさいから、昆布は抵抗を少なくするため細く、波に耐える肉厚に育つ。天然と養殖の違いは、噛めば噛むほどに味がでるのが天然。養殖とはやはり違う。使ったら、すぐわかる。でも養殖の方が幅広く、見場はいい」と、大窪さん。こんな話があった。天然昆布を売った客から虫喰いを扱っていると、苦情がきた。

 「天然の特徴はウニの食べた穴があいている。穴のあいた昆布こそ、天然のしかもウニが好物にする利尻です。見た目は悪くても、味で勝負するなら、穴は勲章やと思うてほしい」

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利尻昆布と千枚漬けは切り離せない京の味
 料理人が昆布を知らなくなっている。似た話は若狭でも聞いた。グジのぬめりをどう勘違いしたのか、こんなぬめりのある古いものと、電話をかけてきた有名な料理屋の板場のことが仲買人の間で評判になった。 京都は素材を大事にする。精選して使うから、送り込む方は力がはいる。産地は京都をまぶしい目で見てきた。

 大窪さんも、利尻に住む兄弟たちも思いは同じだ。産地が京都から学んだことも多い。

 利尻昆布の大口需要の京都市左京区岡崎の「大安」本店で西田久士さんが「昆布がどんなところでとれるのか。京都は北へのロマンがあり、北は京都にあこがれがある。千枚漬けはそんな京野菜のカブラと昆布が出合って生まれた。味もいい。千枚漬けは進物用のため、良い素材が決め手になる。だから利尻を使う。漬け込んだ昆布は細切りにすると、おいしい」と、カブラとの相性の良さをあげた。

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利尻出身の大窪さんは、ふるさとの味を京都で売る
 利尻は昆布の水揚げの季節を迎えている。大窪さんの兄、松夫さんは利尻で昆布養殖を手がける。道南から技術が伝わり、安定した水揚げになるまで30年かかった。

 「天然はどれだけ水揚げできるか、わからない。出稼ぎにいかなくても、昆布で食べられるようになった。養殖であっても、利尻は機械乾燥でなく、天日干しの島。一度、だしをとった昆布をもう一度、干して使うと、十分、いいだしが出る。おてんとうさんと風は昆布に新しい命を吹き込む」と、京都の健三さんに昆布を託している。

 昆布は採取から乾燥まで一気にやらないと、風味、光沢を損なう。利尻の天日干しは日の出に始まり、午後3時までに1日でほぼ7割乾燥させる。半乾きだと、しまい込む際、束にした昆布が熱を持ち、白くなる。天候不順は昆布にとって大敵である。

 昆布の季節は魚をとる暇がないほど忙しい。全国から昆布体験のボランティアが1カ月半、利尻で寝泊まりして昆布漁、干しを手伝っている。今年も40人が参加した。9月なれば、今年の昆布が京へ届く。

(編集委員粟津征二郎) 


 ■磨き抜かれた「献上」の味

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 北海道に昆布の地名は意外な場所にある。ニセコの隣の山の中、函館本線昆布駅=写真=。「みなさん珍しがって写真に撮っている」とワンマンカーの運転士。

 どうしてこんなところに昆布の地名がついたのか。蘭越町の職員は「このあたりは昆布川、昆布温泉と昆布の名前が残っている。海岸でなく、昆布との関係もない。天変地異で大津波がここまで押し寄せ、昆布が木の枝にひっかかっていた説とアイヌ語のトコンポ・ヌプリ(小さなコブ山)からついたと両説がある」

 京都市には昆布屋町が残る。京都地方裁判所近く丸太町通麩屋町西入ルあたり。由来については、おそらく昆布屋が並んでいたからとみられるが、江戸時代、寛永十四年の洛中絵図には「昆布や町」と記している。

 北海道、京都とも地名のみの昆布町が残る。

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