最高の評価が漁に駆り立て

photo
漁師たちは徹夜作業のハモ延縄の漁場・紀淡海峡へ、カジを切った(福良港沖)
 紀伊水道から流れ込む潮は、広くて底の平坦な灘ではゆっくりと、狭くて起伏のある瀬戸では川になる。大きな流れは高松・岡山沖で、豊後水道からの潮と合流、さまざまな島をぬって瀬戸内を流れる。

 紀淡海峡をはさんだ淡路の東端、鳴門大橋のかかる南淡町福良の午後三時半、梅雨の晴れ間のじりじりと肌にくいこむ日差しを受けてハモ漁の船が九隻、出港した。一つの船に二人が乗船、一晩かかって過酷な延縄(はえなわ)を入れる。

 沖野六十二さん、四十九歳。「漁に出るが、水揚げは期待できない。外国産がはいり、いくら淡路の質がいいといっても、まとまらなければ、買値でたたかれる。さあきょうはどうなるか」と、紀淡海峡へ舵(かじ)を切った。

 韓国産は四月から五月が脂ののりがよく、淡路は六月から七月の祇園囃子の響く時期、四国は八月が地元評になる。漁場は沼島(ぬしま)沖、つの字のハモの故郷だ。 「島の周囲はノマというて沼のようにドロドロしている。これがハモにいい。昼はドロの中におって、夜になるとエサを食べに出る。深さは四十ヒロ(約七十メートル)もあるかな」

 日没までに、ひとつの幹縄に枝糸四十五本をつり下げ、針がつく。針の数は四十五本。この幹縄を三十本、投げ入れる。

photo
 ハモ専門の延縄は、かつて沼島の漁師が江戸時代に開発した。悦蔵、佐吉という二人の漁師が紀州・串本からの帰り、ハモの群生を見つけ、生きたまま採る方法がないことを聞かされ、延縄を改良、子アジを泳がせて釣る、かけ延縄を開発したのが始まりというのが通説になっている。いらい沼島の漁師は、明治までハモ漁を独占してきた。

 秀吉の時代、大阪の魚市場、ざこばへ鮮魚を持ち込み、京都が商業都市としてさかえる文化文政のころ、ハモ、タイを納め、沼島の漁業は黄金時代を迎える。

 明治維新と戦後に転機

 溜まり場で、網つくろいをしていた漁師に声をかけた。寛悟さん(65)は「ここは明治維新と戦後で大きく変わったな」と、語る。沼島漁業の転機、それは、京都が経験した変化と偶然にも一致している。

 明治以降、公家を筆頭に儀式用の魚の需要がとまり、沼島の漁業は衰退に向かう。流通の変化が追い打ちをかけた。遠くは朝鮮半島沖から北海道、九州まで、「よそいき漁業」で海の雄として知られた沼島衆は明治を境に、行動を瀬戸内の島周辺に限定していく。

 「ハモ漁は、もう一隻でているか、どうか。とれんなぁ。二十歳のころから四、五年はようとれた。仲買い人が京へ持っていた。ハモは沼島、食べるのは京と思っているが、ボチボチならいいが、さっぱりや。それも、味のいい四百から八百ぐらいがかからん。ハモもおらんければ、島に若いもんもおらん。赤子の泣くのを聞いたことがない」

 ハモ漁が不振を極めていくのは、戦後三十年代後半から。船が木船からプラスチック製に変わり、四人乗りが一人か二人乗りに。漁業人口は変わらないが、船の数は増え、過密化する。

 京の鉾町は夜間人口減が取りざたされ、後継者問題が持ち上がっていた。日本各地で地域社会が崩れていく音を聞いて、ハモは淡路の底から上がらなくなる。

 「ハモは、生きたエサでないとくわない。昼は泥の中で休み、夜、エサを求めるから漁は真夜中になる。これが重労働で、近ごろは皆、敬遠しよる」

photo
港に戻った船から水揚げされるハモ(福良港、午後3時半)
 福良港午前三時。真っ暗な海を船のランプが動いている。ハモ漁の船が戻ってきた。「三十キロあたりかな」と、船の生け間を指さした。のぞいて見ると、ものすごい大型が泳いでいる。「あれはカマボコ用、二キロを超えると、値はがくんと下がる。四百から八百グラムが最高やけど、とれん」と、つぶやく。

 おとしにすれば最高の小振りのハモがほとんどいない。つの字のハモは、もはや、幻に近い。「京都は淡路のハモの良さも、食べ方も知っている。淡路でも、播磨灘よりも、紀伊水道のハモは皮がやわらかい。いつか、京におとし用の型のいいのをどさっと、水揚げできるかも知れん」と語る沖野さん。

 福良では、正月などに歌う「さかな節」が残る。

 ♪今の唄、こちらへもらってごめんなり
  一にゃめでたい鯛の魚

 で始まり、延々と続いて最後にハモが登場する。

 ♪長う申すはハモの魚

 離れていく京と淡路を漁師のロマンがつないでいる。ハモは淡路こそ、最高と評価する京の食彩が漁へ駆り立てる。

(1999.7.14 文=粟津征二郎 写真=白石京大) 

■梅雨の水くぐり美味に

photo
網の手入れをしながらハモへの思いを語る漁師
 梅雨の水をくぐってハモ はおいしくなる

 京ではむろん、和歌山、淡路でも同じことを聞く。ハモは七月後半から八月が産卵期にあたり、産卵前の梅雨がちょうど旬になっている。小アジ、子サバを食べて栄養をつけて産卵に備えるため、延縄の食いがよい。ただ、これは、どの魚にもあてはまる。

 梅雨の水との関係について沼島では「塩分の関係。塩がなるいところの魚はうまい」と、伝わる。梅雨の水が海水と混じり、塩分の変化で味がよくなる意味のようだ。福良でも、漁師たちはためらうことなく同じ言葉を口にする。

 研究者の見解は、あるかもしれないし、そうでないかもしれない。九州大学の望岡典隆助手(魚類学)は「雨水、川水が海水上部にたまり、プランクトンの発生を促し、エサの小魚がそれを食べる結果、底部のハモに影響する可能性はある。しけたり、波立つ時、ハモは泳ぎだして網にかかると、宮崎あたりでは言っている。ただ、即、味につながるかどうか、研究例はない」と説明する。

 同教授によるとハモは韓国でも資源問題化している。産卵期の捕獲が原因だ。養殖の研究も始まったがふ化に成功していない。淡路に続いて韓国とくれば、ハモはさらに高級化する。

 「昔は梅雨の水をくぐってハモはおいしくなると、祇園祭のころ、ハモを食べたもんでした」などと、代用魚を食べる姿を想像するだけで京の夏がこたえる。

▲INDEX▲

[page design:yoshikazu-fujita]