鱗立てずに焼く逸品
京まで遠くても十八里。「きょうとい道」を運ばれた若狭のひとしおものが、一昼夜かけて京の入り口にあたる山端(京都市左京区)に着いたのは明け方になった。 さながら魚市場のにぎわい。人が通り、集まれば、店ができる。山端の「平八茶屋」はもともと街道茶屋。食文化が発達してくる江戸中期には料理茶屋で名を売る。 鉄道輸送になって若狭とのかかわりが薄らぎ、店の看板も若狭色が弱まり、時代の波をかぶった。現当主の園部平八さんが、若狭にこだわった懐石料理を復活して二十年近くになる。 「若狭を訪ねて、浜塩の魚を求めたが、すでにそのころから、手に入りにくくなっていた。グジなら七、八百の頃合いがまとまらない。しかし、若狭ひとしおは、産地を広げ、浜塩の手法は生きている」と、産地と街道のつくった頃合いの味をいまも、最高の味に位置づけている。 若狭ひとしおが京都で手に入りにくくなった理由は水揚げ減のほかに、東京での相次ぐ京料理店の開店が影響している。卸値で一本、一万円は珍しくない塩グジは、若狭ブランドがさらに高値を呼ぶ。半面、昔なら京から料理屋の主人がわざわざ、塩加減を確かめにやってきたが、最近は、世代交代でそこまでする店は少ないという声も若狭で聞いた。グジのぬめりが鮮度。若狭と京の道は確かに細くなっている。
サバ寿司とともに、若狭の塩魚を京の調理法の特徴に取り上げた二十二代西本願寺門主大谷光瑞は、塩魚のつくりについて、京以外では耳にしないが、調理法は多彩でこれが京料理を傑出させたと記している。 グジ料理の多彩さを語るものに若狭焼きがある。グジ料理の代表だ。簡単にいえば鱗ごと焼くのが若狭焼き。細づくりではすき引きにしても、焼きではすき引きにしない。そのまま、金ぐしにさして、酒をかけ、鱗まで食べられるように、こんがり焼くのが一般的だ。見た目もよく、焼いてもいわゆる身やせがしない。 食にどん欲な京都人が工夫した鱗をおいしく食べる方法でもある。店によって違いはあるが、話を聞いていると、まるで針の穴に糸を通すがごとく、焼き方は繊細でなくてはいけない。 基本は鱗をたてずに焼くこと。普通、鮮度のいい魚ほど火にかけると、うろこが立つ。しかし、若狭焼きは鱗を寝かせて、きつね色に焼き上げる。鱗に水分があると立つから、水分を徐々に取り除いて加熱していくのが技術だ。その都度、酒をかけ、仕上げはつやを出すみりんを塗る。片手間ではできない。身を焼く前に、鱗の段階でこれだけ時間も手間もかける。 鱗のカリッとした歯ごたえ、香ばしさと、焼き身の組み合わせの妙に感嘆の声をあげるしかない。しかし、最近はこうまでして調理した鱗を食べる客が少なくなったため、すき引きし、強火の近火で焼き上げる店も多くなった。 この若狭焼きの技法にしても素材のグジが悪いと焼き上がりにてきめんに出てくる。園部さんは「鮮度が良くて、塩まわりのいいグジは鱗もたちにくい。塩の見極めも大事」と、語る。鱗を立てずに焼く若狭焼き。素材と調理のこだわりからも京料理の逸品と評するだけのことはある。 本来は姿焼きながら、切り身になっていく若狭焼きのグジ。なぜ切り身になったのか。卒論のテーマにつかえそうな若狭ひとしおの変遷をたどれば、何百年に及ぶひとしおの道に刻まれた一つひとつの風景があんなこと、こんなことと語りかける。怒鳴り合い、いたわり合い、励まし合って運んだ道に違いない。 日本海、港町、峠、山里、夜汽車、都、包丁と続くひとしおの道の風景はまぎれもなく演歌の世界だ。しかし、鉄道開通、そして戦争戦後、それも現代の短期間にひとしおの道は大きく変わった。若狭湾から山を越える潮風は、ひゅっと声をあげる。揺れ動く地域社会への挽歌(ばんか)のようにも響く。 (1999.11 文=粟津征二郎 写真=梶田茂樹)
|