| 多彩で肥よくな黒澤ワールド |
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黒澤明監督の「羅生門」がベネチア映画祭でグランプリを得たのは、日本がまだ敗戦の虚脱状態から抜け切っていなかった一九五一年。日本人の多くが喪失していた日本の文化に対する自信と誇りを回復させてくれたという点で、四九年の湯川秀樹博士のノーベル物理学賞受賞にも比肩する快挙だった。 その黒澤監督が亡くなった。一つの時代が確実に終わったという感慨を禁じえない。時代と同伴しながら、あれほど骨太でスケールの大きい作品を生みだす映画作家はもはや現れないだろう。感謝の心を添え、哀悼の意を表したい。 黒澤明によって、日本映画は世界に認知されるようになった。小津安二郎、溝口健二、成瀬巳喜男らが国際的に高い評価を得る端緒ともなった。 世界中で黒澤作品が愛されたのは、東洋的エキゾチシズムのためではない。作品の基底に流れるヒューマンな感情と、善と悪の二元論が、広く世界の観客の理解と共感を得たのだと思われる。 日本的感覚、日本人特有の心情を画面に求めるヨーロッパの映画人は、むしろ小津や溝口に傾倒している。西欧文化の洗礼を受け、近代美術や音楽に深い素養をもつ黒澤監督は、ジャポニスムの体現者としてではなく、二十世紀の同時代人として国際的に受け入れられたというのが正確だろう。 固有の文化伝統を持たないアメリカの映画人が黒澤監督を手放しで礼賛するのも周知の事実だ。S・スピルバーグ、F・コッポラ、J・ルーカスらが「黒澤の弟子」を自認するのは、真率なテーマと躍動感に溢れた映像表現に魅せられてのことだろうが、彼が文化の継承者でなく創造者である点が最も大きい理由と言っていいだろう。 四三年の「姿三四郎」から数えて三十本と作品数は決して多くはない。だが、その内容は多岐にわたっている。戦後社会の荒廃を描き、核兵器による破壊への恐怖を凝視し、高級官僚の腐敗や非人間性を告発し、小市民の誠実な生き方を見守るなどの、シリアスだがヒューマンな作品群がある。 ドストエフスキー、ゴーリキー、シェークスピアの世界にも挑戦した。「七人の侍」を頂点とする時代劇では、望遠レンズを多用して前例のない迫力のある画面を生み出し、活劇の面白さを満喫させてくれた。最晩年の作品もみずみずしい叙情とユーモアにあふれ、枯淡の境地には縁遠かった。 多彩で肥よくな黒澤ワールドが幕を閉じたのが惜しまれる。独特の精神主義にへきえきすることもあったが、いまは、すべての作品が懐かしい。 フランスのシラク大統領は「世界の映画史に重要な節目を刻んだ」と黒澤作品を称賛、弔意を表した。日本の文化勲章に先立ちレジオン・ドヌール勲章を贈ったフランスの国柄を思う。九三年に亡くなったイタリアのフェデリコ・フェリーニ監督は国葬で送られ、スカルファロ大統領が参列したのも思い出される。 文化を尊ぶ姿勢がそこにはある。彼我の差にため息が出る思いだ。
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