(8)「ノムラの考え」下敷きに 
野村監督の遺産に星野野球が加味され快進撃が始まった=
01年11月23日

 野村監督時代の3年間に選手が教科書として使ったのが「ノムラの考え」という野球の理論書である。野村監督は結果的に頓挫するが、理論だけは残った。星野監督の今回の成功の一端には、この野村遺産を下敷きにして、選手にスピリッツを吹き込んだことが挙げられる。

 「ノムラの考え」は、ヤクルト時代にミーティングで黒板に書いて教えていたものを、阪神の監督就任時にまとめたもので、心構えから説き起こし、実戦の細部にわたる解説を書き込んでいる。星野監督は就任後にこれを読んだとき「すべて素晴らしいし、納得した。さすがだなと思ったが、これがやれていない」との感想を持ったという。頭に詰め込まれたものが負担になって、体が連動しなかったのかもしれない。

理論に“魂”吹き込む

 野村監督が「星野のような熱血漢がいいのかもしれない」と、監督時代にぼやいたことは既に書いた。意識改革から始めて精神論を基調にする星野野球は、選手の意識を「考える」ことから「戦う」ことに移行させた。選手会長の桧山の言う「(野村監督時代は)野球に対する考え方が頭の中に入っていてそれを出せなかった。星野さんはそれを引き出した」は、それに通じる。選手は戦う姿勢を見せ、勝つことによって逆に考える余裕を持つようになった。

 星野監督は正直に言う。「野村さんの3年間はプロセスだったと思う。(結果は出なかったが)それはそれで尊重します。ある意味では野村さんの後は楽だったかもしれない」と。

 もちろん星野野球のすべてが精神論にあるわけではない。闘志を前面に出す野球が一つのスタイルとしてあるのはともかく、駒がある程度そろわなくては勝負にならない。野崎球団社長が「敵の監督としてトレードを直接やり合ったこともあったが、非常に編成能力のある監督だと思っていた」と言うのは、星野監督のもうひとつの手腕、能力を物語っている。いわばチーム編成を一手に引き受けるGMとしての才能が、たけているということだ。

 就任時の青写真では3年目の優勝が描かれていた。しかし、野村遺産に星野野球が加味されたとき、思いの外に早く、大きな果実がなった。それは独走という名のすてきな果実でもあった。

 (共同通信)


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