「勝利」と違う喜び求め

(8)29勝の意味−プロゴルファー・吉川なよ子

吉川なよ子さん 日本女子プロゴルフ協会(LPGA)には、予選免除で全ツアーに出場できる「永久シード」の特権がある。ツアー通算30勝以上が条件で、現在まで岡本綾子や不動裕理ら計6人しか獲得していない。大病に襲われるまで破竹の勢いで優勝を重ね、現在29勝の吉川も目前に迫る。第一線から遠ざかり実現は難しいが、未練はない。「29勝は私の人生そのもの。そこで止まっているのが残念とは思わないんです」。壮絶な競技人生に区切りをつけ、新しい目標へと歩き始めた。

がんの告知、手術

 1994年夏、甲状腺がんを告知された。5勝を挙げて賞金女王となった88年ごろから、体調の悪さを引きずっていた。心身の疲労感が抜けず、クラブを握るのもつらい。他人との会話や食事も苦痛で、自宅に閉じこもった。優勝から遠ざかり、賞金順位も落ちていく。予感はしていても「がんです。手術が必要」という医師の告知は重く響いた。「もうゴルフはできない」。覚悟を決めて手術に踏み切った。

 幸いにも手術後の経過は良く、復帰を目指した。再び立ったコースの空気は新鮮だった。翌95年春の再春館レディースで5年ぶりの優勝。永久シードに王手をかける29勝目だったが、本格的なカムバックは頭になかった。「勝つために、すべてを犠牲にして自分を傷め過ぎた。結果を出すためには努力が必要だ。もう一度同じことを繰り返すわけにはいかない」。自分に問いかけ、結論を出した。慌ただしく走ってきた競技人生のペースを落とした。

 札幌市で生まれた。男子と一緒にスキーのジャンプをする活発な姉とは違い、泣き虫で、引っ込み思案な少女だった。小学2年の時、北海道電力に勤めていた父がモーターに巻き込まれる事故で死亡し、生活は一変する。父の遺産で母は下宿屋を始めたが、詐欺に遭って全財産を失った。家計を支えるため兄、姉は住み込みで働き、自分も中学を卒業すると地元の時計店に勤めた。夜は寿司屋でアルバイトして生活費を稼いだ。19歳の時、新聞広告で滋賀県にあるゴルフ場のキャディー募集を見たのが転機になった。

よしかわ・なよこ 56歳。札幌市出身。釧路市の春採中を経て、19歳で滋賀県へ。3度目のプロテストで合格し、73年にデビュー。79年の日本女子プロ東西対抗戦で初優勝し通算29勝。88年に賞金女王に輝き、生涯獲得賞金は4位。00年に半生を綴った自著「風はアゲンスト」を出版。京都市伏見区在住。

取り戻した青春

 ゴルフ場で働くうちに興味が芽生え、「資格を取るような気持ち」でプロテストを目指した。昼は客にボールを運び、夜は真っ暗な闇に向かってボールを打つ。自分の情熱を注ぐ対象に初めて巡り会えた。生活に追われた10代では味わえなかった充実感があった。「すべてが自分に返ってくるのが面白かった。プロテスト合格までが私の青春かな」。73年、23歳でプロになった。

 デビューしたものの6年目までは優勝に届かず、惜敗続きで「万年2位」と呼ばれる悔しい思いもした。78年に挑んだ米国ツアーが飛躍につながった。米国人選手のスイングはかっこ悪く見えても「ボールを前に運ぶ」力強さに満ちていた。アイアンの弾道の高さ、スライス、フックの理屈ばかり求める自分に気がついた。ボールが沈む米国の深い芝に慣れると、芝の短い日本のコースは楽に思えた。技術もメンタルも一皮むけた。翌79年に初優勝を含む3勝を挙げると、88年の賞金女王までひた走った。

 一貫して目指したのは安定したゴルフだ。どのツアーもベスト10を狙い、優勝を意識するのは最終ホールかプレーオフに入ってから。最終日の朝。闘争心むき出しのコメントをほしがる記者に「集中するだけ。結果は分かりません」と答え続け嫌がられた。だが「他人と争っているように見えるが、自分のゴルフと争っているだけ。それに目先のツアーだけなく、1年通じて競うもの」と信じていた。

 96年にがんが再発、目も手術するなど人生の荒波は続いた。99年に年間獲得賞金51位となり、小差でシード資格を失った。その立場を受け入れる格闘もあったが、自分のエネルギーを違う分野に注ぎたいとの思いが強くなった。ジュニアが練習できる環境整備、プロを目指す選手を支える施設づくり…。夢は少しずつ膨らんでいる。

 「29勝がどういう意味を持つかは、今から決まると思う。私の人生はこれからが本当の始まり。勝つ喜びとは違う30勝目があるはず」。胸を張って自分だけの「19番ホール」を歩いていくつもりだ。