体操の冨田洋之選手が、2008年限りで引退

◇冨田今年限り引退

冨田洋之選手

 二〇〇四年アテネ五輪の体操男子団体総合で日本の28年ぶりの金メダル獲得に貢献するなど、「体操ニッポン」復活の立役者となった冨田洋之(27)=セントラルスポーツ、洛南高出=が今年限りで現役を引退することが八日、分かった。思うような演技ができないことから決断したとみられる。

 今後は指導者を目指す見通し。十一月十五、十六日の豊田国際競技会に出場し、世界ランキングで出場が決まった場合は、十二月のワールドカップ(W杯)決勝大会(マドリード)が最後の競技会となる。冨田は〇五年世界選手権では日本選手で31年ぶりの個人総合制覇。北京五輪は団体総合で銀メダルを獲得した。


◇美技世界に君臨

2004年のアテネ五輪で、銀メダルを獲得した種目別平行棒の演技を終え、手を挙げて観客の声援に応える冨田選手

 世界一美しい体操を追求し続けた男だった。アテネ、北京五輪で日本代表のエースとして活躍、「体操ニッポン」復活の立役者だった冨田洋之選手が、静かに引退を決めた。全6種目に強い「オールラウンダー」は世界でも希有(けう)な存在だった。

 大阪出身の冨田選手は洛南高で素質を開花させた。インターハイ個人総合二連覇。当時から近寄りがたいほどの寡黙さで、練習に妥協はなかった。「体操は曲芸じゃない。難しい技を簡単に見せるのが体操」と独自の哲学を貫いた。

 重圧のかかる場面ほど抜群の強さを発揮した。アテネでは団体金メダルのかかる最後の鉄棒で高得点をたたき出し、北京の団体総合でも他の日本勢がミスを出す中、表情を変えずノーミスで演技をやり切った。

 優勝を狙った北京の個人総合はつり輪で指が滑り、まさかの転落。4位に終わったが「やるべきことはやった」とさわやかだった。

 強い上半身、ぴんと伸びた足、体全体のしなやかさ。約二十年をかけて体に覚え込ませた体操だ。昨年は国際体操連盟から日本選手初の「エレガンス賞」を受賞。二〇〇五年の世界選手権では日本勢で三十一年ぶり個人総合優勝と、世界の高い評価を受けた。

 美しさと強さを併せ持った冨田選手は他の日本代表に強い影響を与えた。その財産は確実に受け継がれる。

■洛南高の恩師 「ご苦労さま」

 「冨田引退」の知らせを聞いた洛南高体操部の関係者らは、引退を惜しみつつ、これまでの同選手の努力と活躍をたたえた。

 高校時代に指導した体操部顧問の辻野朝晟さん(65)は部員と練習中に一報を聞いた。先月、冨田選手から「先が見えない」という言葉を聞いたといい、「まだ続けられるでしょうが、ぶざまな姿を見せられないというプライドがあるのでしょう」「日本の体操界に夢を与えてくれた。ただ、ご苦労さまと言いたい」と話した。

 現役部員たちは驚いた様子。瀬島龍三主将(17)は「何年も日本のエースでいられたのは並々ならぬ努力の結果だと思う。ゆっくりしてほしい」と偉大な先輩に言葉を贈った。

 同高体操部OB会の杉山晋一会長(44)も「洛南高体操部にとっての宝でした。彼の活躍が後輩にもいい刺激になっていた」と残念そうに話した。

(2008年11月9日付け紙面から)

◇「美しい演技難しく」

晴れやかな表情で引退の記者会見をする体操の冨田洋之選手=10日午後、東京都中央区

 2004年アテネ五輪の体操男子団体総合で日本の28年ぶりの金メダル獲得に貢献するなど、日本のエースとして活躍してきた冨田洋之(セントラルスポーツ、洛南高出)が10日、東京都内で記者会見し、現役引退を表明した。

 27歳で引退を決意した理由について「年々衰えを感じていた。理想としてきた美しい体操を、自分の中で演技することが難しくなってきた」と説明。05年世界選手権個人総合の優勝、北京五輪団体総合の銀メダルなどで実績を残したことや、多くのファンに支えられたことを挙げ「本当に満足のいく体操人生だった」と語った。

 15、16日の豊田国際競技会が国内最後の大会で、世界ランキングで出場が決まった場合は、種目別世界一を争うワールドカップ(W杯)決勝大会(12月13、14日・マドリード)が現役最後の試合となる。今後の方向性については未定とした。

■「自らの体操にけじめ」

 スーツ姿の冨田に涙はなかった。いつも通りの落ち着いた口ぶりで、引退という大きな決断を語った。

−引退を決めた要因は。
 「能力的に落ちていくことを感じながらのここ何年間だった。理想としてきた美しい体操を自分の中で演技することが難しくなった。種目別でとも考えたが、オールラウンダーの道から外れてしまうと感じたので、けじめをつけた」

−引退を決めた時期は。
 「(北京)五輪が最後になるだろうという気持ちがあった。はっきりといつ決めたというのはないが、終わってから、じっくり考えて決めた」

−印象に残る試合は。
 「それぞれの試合にそれぞれの思い出がある。その中で一番を決めることはできない」

−体操とはどういうものだったか。
 「演技している状況が、自分にとってはすべてを素直に表現している時間だった」

−競技生活を振り返って。
 「小さいころからずっと、少しでも上手になりたいという気持ちで続けてきた。そんな自分が五輪に出て、世界大会でも結果を残せたことはうれしく思う。ファンの方にも多くの声援をもらえ、いい体操人生だった」

■メダル表

冨田の五輪、世界選手権でのメダル
2003年 世界選手権 団体総合 銅
            個人総合 銅
  04年 アテネ五輪 団体総合 金
            平行棒  銀
  05年 世界選手権 個人総合 金
  06年 世界選手権 団体総合 銅
            個人総合 銀
            平行棒  銀
  07年 世界選手権 団体総合 銀
  08年 北京五輪  団体総合 銀


◇冨田、有終の「銅」鉄棒

 【マドリード14日共同】体操のワールドカップ最終日は14日、マドリードで行われ、今大会が現役最後の試合となった日本男子の第一人者、冨田洋之(セントラルスポーツ)は鉄棒で15・325点の3位となり、銅メダルを獲得した。アテネ五輪団体総合の金メダルに貢献し、世界選手権の個人総合も制した冨田は、今季限りでの引退を表明していた。

 冨田は平行棒では脚がバーに触れるミスがあり、星陽輔(セントラルスポーツ)とともに14・875点で6位。女子床運動の鶴見虹子(朝日生命ク)は跳躍系の着地が乱れ、13・575点で7位だった。

■美しい体操 新月面で締め

現役最後となった鉄棒の演技をする冨田洋之=マドリード(日本体操協会提供・共同)

 現役最後となった鉄棒の演技前、冨田は小さく一礼した。「最後はしっかりときれいな体操で終わりたいと思っていた」。その言葉どおりに、追い求めた美しい体操で競技生活を締めくくった。

 F難度の離れ技、コールマンを皮切りに大車輪でのひねりや持ち替えなど、演技構成は全盛時から落としていない。ひざとつま先はきれいに伸び、正確な技が次々に繰り出される。「自分の人生で大きな財産になる」(星)と見守った後輩たちの目に、最後の勇姿を焼き付けた。

 フィニッシュは伸身の新月面宙返り。団体総合金メダルを獲得した2004年アテネ五輪で鮮やかに決めた技だ。だがここまでが限界だった。「練習量は本来の半分くらい。頭で分かっていても体が反応しなかったと思う」と森泉コーチ。着地で踏みとどまれずに両手をつき、冨田は「後半になるときつくなるのが出た」と話した。

 それでも銅メダル。将来は指導者を目指す28歳は「注意しても体が動かない状態だったので仕方ない。表彰台を最後に経験できたのでよかった」と悔いはなかった。

(2008年12月15日付け夕刊紙面から)

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