京都新聞社TOP

2007年12月、西村さんら3人が人名救助で表彰

海上保安庁での表彰式の様子。感謝状を持つ、(左から)葛野さん、西村さん、明致さん
海上保安庁での表彰式の様子。感謝状を持つ、(左から)葛野さん、西村さん、明致さん

 この「西村さんのボート旅」に登場している3人が、2007年12月8日、人命救助で表彰を受けた。当日は、新西宮ヨートハーバーで伝達式があり、姫路海上保安部が、ヨットオーナーの葛野啓造さん、同志社大ヨット部OB・OG会「鯨会」会長の西村知明さん、クルーでオムロン副社長の明致親吾さんの3人に感謝状を手渡した。

救助の様子は、西村さんに振り返ってもらいました

 私たち3人は、今年夏に瀬戸内海→四国一周(詳しくはこのホームページに掲載している)をした葛野君の愛艇で、2007年11月11日午前7時、1泊2日のクルージングに出発しました。岡山県の坂越へ向かう予定でした。

 予報で西風が強くなる事は知っていましたが、明石大橋を交す前くらいから風が強くなってきて、播磨灘では30knotくらいまでつのりました。航海経験の少ない2人を積んでいますので慎重に操船していました。それも限界を感じ、姫路沖で前へ進む事を断念し、姫路港へ避難を決心しようと思っていた矢先でした。

 その前から、前方に30feetぐらいのヨットがいたのは見ていたのですが、そのヨットがセールを降ろして漂っていました。姫路港へ入るのかな、と思っていましたが、その挙動がどうもおかしいと感じて、念の為近づいてみました。

 すると、降ろしたジブセールが水中にたれて、船上で両手を振って助けを求めておりました。さらにヨットに近寄ると、一人が落水し、辛うじて船体にしがみついているのが見えました。こちらも直ぐにセールを降ろし、救命ブイを流しました。しかし、強風の為うまく落水者に届きません。落水者はライフジャケットを装着しておらず、力尽きて船から離れるのを防ぐ為ロープで手を縛り固定していました。

 一度は接舷を試みましたが、波が大きく艇の破損の危険があるので諦めざるをえませんでした。すぐに携帯電話で海上保安庁に電話(警察は119番だが、保安庁は118番)し、その到着を待ちました。

 約20分ほどして、救助艇が到着しましたが、簡単には救助できず、屈強な隊員が3人がかりでやっと引き上げました。それを見届けた頃には、既に日没で海上は暗く、姫路港へ入港し保安庁の桟橋に接岸しました。

 ここが又、高速艇の出入りする所で引き波が大きく、小さなヨットが係留できる所ではありません。結局、遭難艇が通常停泊している所に係留する事になり、作業が終ったら7時を回っておりました。遭難艇に乗っていた二人は結構経験があり、落水者は大学ヨット部OBで、高校でヨット部の部長先生との事(後に加古川市の46歳の教諭と判明)。経験者が良く犯す過ちで、基本を守らなかった事(ライフジャケットの装着)が事故を大きくし、ひとつ間違えば人命を落とすような惨事に繋がる結果になる事を再認識しました。

 その場で、「人命救助で表彰も」との話でしたが、私たちは、そんな大げさなことではない、と思っていました。むしろ、復路が又大変でした。前日と同じ様に播磨灘は強い西風と大潮の逆潮で大きな三角波と追手の風で必死でした。操船は「つめ」より「追手」の方がはるかに難しく、ひとつ間違うとひっくり返る危険があります。四国一周の最終日に播磨灘で三隻の漁船が転覆しましたが、あの状態では転覆もあり得ると思える波高の高い三角波でした。経験の浅い同乗の二人にとっては、大きくヒールする「つめ」の方が怖かったようですが、私にとっては必死の舵さばきでした。お陰さまで、腰から下がガタガタで、両足が筋肉痛で大変でした。