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(2)釜本邦茂 サッカー人生

(1)引退披露として、1985年(昭和60)、大阪サッカーカーニバルに関西選抜の「9番」で出場した釜本氏(中央)=長居陸上競技場 (2)同じく、ベンチからピッチに向かう釜本氏  。左は、関西選抜監督を務めた恩師の森貞男氏 (3)同じく、試合終了後、ファンにあいさつする釜本氏
(1)引退披露として、1985年(昭和60)、大阪サッカーカーニバルに関西選抜の「9番」で出場した釜本氏(中央)=長居陸上競技場(2)同じく、ベンチからピッチに向かう釜本氏。左は、関西選抜監督を務めた恩師の森貞男氏(3)同じく、試合終了後、ファンにあいさつする釜本氏

西暦(昭和)  
1944(19) 4月15日5人兄弟の三男として京都で誕生
1957(32) 4月太秦小学校から蜂ヶ岡中に入学。3年生のとき主将、京阪神三都市大会など優勝
1960(35) 4月山城高校に入学、10月熊本国体で優勝
1962(37) 1月全国高校選手権で準優勝
4月第4回アジアユース大会に日本ユース代表として出場
1963(38) 4月早稲田大学に入学。第5回アジアユース大会に主将として出場。
関東学生リーグで優勝。11点を入れ得点王(4年連続リーグ得点王)
1964(39) 1月天皇杯で日立を破り優勝
3月日本代表(東京五輪チーム)入り。19歳10月東京五輪出場、ベスト8。(5・6位決定トーナメント、対ユーゴ戦で1得点)
1966(41) 12月第5回アジア大会に出場、3位
1967(42) 1月天皇杯で東洋工業を破り優勝(以後、天皇杯での大学チームの優勝はない)
4月ヤンマーに入社。日本リーグ初得点はデビュー戦の対豊田で2得点
6月外国プロチーム(ブラジル・パルメイラス)に初勝利。決勝ゴールをあげる
1968(43) 1月西ドイツへサッカー留学、2カ月後、メキシコ五輪チームに合流
10月メキシコ五輪3位決定戦でメキシコを2-0で破り銅メダル。7得点で同五輪の得点王に
1969(44) 1月天皇杯で三菱を破り、ヤンマー初優勝。決勝ゴールをあげる
6月全日本合宿中に倒れ、ウィルス性肝炎で入院。50日後の8月5日退院。
以後、4年間は試合と通院の生活。W杯予選は欠場
1970(45) 3月全日本チームに復帰
12月第6回アジア大会で日本4位
1971(46) 日本リーグで初優勝
1972(47) 7月ムルデカ大会で15得点、得点王に。日本3位
1973(48) 5月ミュンヘン・ワールドカップ予選に出場
1974(49) 6月足の治療を終え、半年ぶりに全日本再復帰
10月日本リーグ対三菱戦で、リーグ通算100得点を達成。
8シーズン、109試合目
1975(50) 1月天皇杯で優勝。49年度日本リーグ優勝と合わせ初の二冠に輝く
1976(51) 3月モントリオール五輪予選敗退
8月ムルデカ大会で日本2位
1977(52) 3月W杯予選で日本敗退
6月日韓定期戦を最後に全日本を引退
9月ニューヨーク・コスモス戦を最後に全日本を引退
ペレのサヨナラゲームに出場。観衆65000人
1978(53) 1月対三菱戦で150得点目をあげる
2月ヤンマー監督(兼選手)に就任
1980(55) 10月日本リーグで優勝。9月7日、対ヤマハ戦でハットトリックを達成
12月世界選抜チームの選手として、ユニセフ慈善サッカー大会(スペイン)に出場
1981(56) 11月1日本田技研戦で2得点。通算201得点に。238試合目
1982(57) 5月15日日立戦で202得点目をあげる
5月20日マツダ戦で右足首アキレスケン断裂
8月11日練習中に同じ個所を切る
1983(58) 11月3日日本リーグ対読売クラブ戦に交代出場。1年6カ月ぶり。無得点
12月30日天皇杯準決勝。対鋼管戦で交代出場。アシスト1
1984(59) 1月1日天皇杯決勝。対日産戦で交代出場
2月13日引退を発表
8月25日東京・国立競技場で引退試合
1985(60) 2月17日大阪サッカーフェスティバルに出場
3月京都招待サッカーに出場

(03年7月22日)