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メキシコ五輪銅メダル 1968(昭和43)年 日本サッカー協会名誉副会長 釜本邦茂さん

(1)好機逃さず、2ゴールで決める

「メキシコ五輪のサッカー会場に日の丸が揚がったが、本当のこととは思えなかった」と銅メダル獲得を振り返る釜本邦茂さん(宇治市・京都文教大)
「メキシコ五輪のサッカー会場に日の丸が揚がったが、本当のこととは思えなかった」と銅メダル獲得を振り返る釜本邦茂さん(宇治市・京都文教大)

<1968年10月24日、メキシコ五輪のサッカー3位決定戦。アステカスタジアムで日本は地元メキシコと対戦した。大一番の試合前、エースストライカーに気負いはなかった>

 誰もメダルを取れると予想していなかったし、僕らも決勝トーナメントに行けばいいと思っていた。自分自身も東京五輪(64年)では1点しか取れなかったが、メキシコでは準決勝を終えて5点を挙げていたので、最後の試合は全力を振り絞ろうという気持ちだけだった。ただ日本は東京五輪とほぼ同じメンバーで、百戦錬磨のチーム。完全なアウェーで6万人の大観衆だったが、動じることはなかった。

 ベンチの指示は「8人で守って2人(釜本と杉山隆一)で点を取ってこい」。個人能力は相手の方が高く、ボールは持たれるだろう。でも持たせてやっていると思っていれば、負担には思わない。ミスが起きれば、何回かのチャンスで自分が点を入れる。そんなプランでした。

<前半18分、杉山の左クロスをゴール前中央で胸で止め、左足で先制点を決めた。これは練習とは違う形で生まれた>

 杉山さんが仕事をする左サイドでプレーしないという約束事だったのに、左サイドでボールを受け、杉山さんにボールを預け中へ入っていった。中央のエリアまで行くと、杉山さんが相手選手に間合いを詰められていたので、ゴール前へ真っすぐ詰めていった。練習していたのは、遠いサイドへ走ってヘディングシュートを打つか、そこから中へ折り返してフォローする味方にシュートを打たせるパターン。だが、この時はそれができなかった。

 ボールを止めた瞬間に入ると思った。ネットに突き刺さんばかりのシュートをけろうとしたが、左足内側に当たり、ミスキックになった。でもゴールキーパーの足元を抜けて入りました。

<前半39分には再び左サイドの杉山から横パスを受け、右足で2点目を豪快に突き刺した>

 会心のシュート。止めたボールが少し足元へ入ったのでボール1個分ぐらい外へ動かし、ディフェンダー(DF)が詰めてきた時には足を振り上げていた。足の感覚がないほどきれいにボールの中心をけり、DFの足の間を抜けて入りました。

<2-0で勝ち、見事に銅メダルを獲得した。後にも先にも五輪のサッカーで日本がメダルを獲得したことはない>

 終わった瞬間は、勝ったというより、やっと終わったという感じでした。すぐに選手村に帰り、夕飯までの時間ずっとベッドで寝ました。フルでゲームに出ていて、精神的にも肉体的にも限界だったのです。

 翌日の表彰式で日の丸が掲揚されるのを見ても、「本当にこんなことが起きているのか」と信じられなかった。今となっては大変なことを成し遂げたと思うが、当時はメダルを首にかけてもらっても特別な感情は沸きませんでした。メダルは今も赤銅色に輝いています。

かまもと・くにしげ
 京都市右京区出身。太秦小、蜂ケ岡中から山城高へ進み、熊本国体で優勝。全国高校選手権で準優勝。早大を経てヤンマーに入社し、251試合出場202得点。日本代表として東京(1964年)、メキシコ(68年)の両五輪に出場し、メキシコでは7得点を挙げて大会得点王。日本代表Aマッチ75試合73得点(歴代最高)。元参院議員、日本サッカー協会名誉副会長、京都文教大客員教授。65歳。

(2009年12月10日付け紙面から)