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メキシコ五輪銅メダル 1968(昭和43)年 日本サッカー協会名誉副会長 釜本邦茂さん

(3)最高の状態、大会得点王に

<1968年10月、メキシコ五輪が開幕した。予選リーグ初戦のナイジェリア戦でハットトリックを達成した>

 五輪が開幕したとき、体のどこにも痛いところがなく、最高の状態に仕上がっていた。前半24分に1点を入れた。自分の役割は点を入れることと考え、東京五輪から4年間、その意識でやってきた。東京では4試合目で1点、メキシコは1試合目で1点取れた。東京より上達している、たくさん点を取れると思った。そうすると肩の力がふっと抜け、シュートを打てば全部、入ると思いました。

 後半28分にもう1点入れ、終了間際には超ロングシュートを決めた。相手のゴールキックをハーフウェーラインで止め、そのまま、外れてもいいのでゴールへけったら、キーパーの頭を越えて隅に決まった。そんなもんだな、入る時というのは。

<ブラジル、スペインと引き分け、決勝トーナメント1回戦(準々決勝)でフランスを3-1で撃破。ここでも2得点1アシストと活躍した>

 今と違ってプロ選手は出場できないので、欧州や南米はレベル的にやや低かった。でもソ連(当時)やハンガリーといった共産圏は実質プロで、メキシコも同じようだった。純粋なアマチュアは日本だけで、準決勝のハンガリー戦は0-5で完敗した。でも、これが良かったのかもしれない。たとえば1点差負けなら「しまった」「悔しい」と思うが、5点も取られたのだから「明日(3位決定戦)頑張ろう」とすぐに切り替えられた。

<3位決定戦で2得点し、通算7ゴールを挙げた。世界トップレベルのフォワード(FW)を押しのけ、大会の得点王に輝いた>

 3位決定戦の翌日に決勝があった。ハンガリーで5点くらい入れている選手がいて、決勝でハンガリーは何回かPKをもらいながら、その選手はけらなかった。だから得点王になったのは幸運な面もあったのです。決勝が終わったとき、クラマーさんから「おまえが得点王だ」と言われた。でも「あっ、そう」というような感じでした。実は前夜の打ち上げで大酒を飲んでいたから、頭が痛くて、それどころではなかったのです。

 得点王になっても、日本のメディアはそれほど騒いでいなかった。やっぱり銅メダルを取ったことの方が大きいし、得点王の価値をあまりよく分からなかったのかもしれない。

 帰国後、外国のクラブから獲得のオファーがありました。ドイツ、フランス、メキシコ、ウルグアイ…。ゆくゆくはプロになりたいと考えていましたが、翌秋のワールドカップ予選を勝ち抜いて本戦出場を果たせば、海外のクラブへ行こうと思っていました。だが、メキシコから帰国し日本リーグ、天皇杯、所属していたヤンマーの東南アジア遠征と続いて疲れがたまっていたのか、6月にウイルス性肝炎を発症し、入院してしまった。結局、ワールドカップ予選に自分は出場できず、日本は負けてしまった。

(2009年12月12日付け紙面から)