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メキシコ五輪銅メダル 1968(昭和43)年 日本サッカー協会名誉副会長 釜本邦茂さん

(5)正確なプレー重視、変わらず

サッカーに熱中した山城高時代。1年生で熊本国体優勝、2年生で全国高校選手権準優勝を果たした(写真は3年生の1962年11月24日)
サッカーに熱中した山城高時代。1年生で熊本国体優勝、2年生で全国高校選手権準優勝を果たした
(写真は3年生の1962年11月24日)

<野球少年だったが、小学校の先生の一言がきっかけで、サッカーを本格的に始めることになる>

 太秦小(京都市右京区)には「紫光クラブ」でサッカーをプレーしている先生が2、3人いて、野球の練習の合間にサッカーらしきものを教わっていた。そのうちの1人、池田輝也先生が卒業式の時に「サッカーをやれ。オリンピックがあり、外国へも行ける」とおっしゃった。当時は外国へ行くなんて夢のようなもの。ですから、サッカーをやろうと…。

<蜂ケ岡中から山城高へ進み、1年からレギュラーとして活躍。村山康裕部長(故人)、森貞男監督の名コンビの下で才能を伸ばし、国体優勝や全国高校選手権準優勝などの実績を残した>

 「ちゃんとやらんか」。これが森先生の口ぐせ。パスはちゃんと味方へつなぎ、シュートはちゃんとゴールへける。つまり正確にプレーしろということ。村山先生には試合でまずいプレーをすると傘の柄でカーンとやられた。なぜ自分だけ責められるのかと思いましたが「よし今に見てろ」と…。

 山城高では、2学年上に古川勝已さん(故人、元同大サッカー部監督)、1学年上に二村昭雄さん(元日本代表、山城高サッカー部OB会長)らがいて、練習は厳しかった。冬場はボールをけらず、御室の山や原谷あたりを走ってばかりだった。長距離を走るのが一番の苦手。「ちゃんと走れ」と周りから言われるのですが、いつも「体が重たくて走れませんがな」と答えていた。でも短距離は誰にも負けなかった。

 パワーにも当時から自信があった。練習で自分のシュートを弾こうとしたゴールキーパーが指を骨折してしまったこともある。がっしりとした体格の父親譲りの部分もあるが、夏に川の水の中で足を振る練習をしたり、御室のお寺の廊下で腹筋を鍛えました。

<高校時代、もう一つの大きな出会いがあった。「日本サッカー育ての親」と言われるドイツ人コーチ、デットマール・クラマー氏に教わり、大きな影響を受けた>

 1年秋にクラマーさんが京都へ来ることになり、社会人や大学生に交じって講習会に参加しました。クラマーさんは森先生と同じことを言うのです。「正確にボールをけれ、きちっと止めろ」と。いい選手になるためには「ボールコントロール、ボディバランス、ブレーン(頭脳)」という3つの「B」が必要だと強調されました。理論的な指導を受け、非常に役に立ちました。

<基礎を大切にする姿勢は今も変わらない。現役引退後、全国各地で本格的に始めた「釜本サッカー教室」は今年、1000回を超えた。多くの少年少女にサッカーの楽しさを伝えている>

 京都での少年時代は大きな財産になった。自分がチームの中でどういう役割を担っていくのかを教わり、最後までそれが生きた。教室を開催して思うのはサッカーに限らず、どの世界も根本がしっかりしていないといけないということ。自分のサッカー観は教室を始めてからの30年間で何も変わっていない。クラマーさんや森先生に教わったことを次の世代に伝えるのが僕の使命だと思うのです。

(2009年12月15日付け紙面から)