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元京商副会頭、京都府体協会長 小谷隆一氏 死去 81歳

小谷さんしのぶ お別れ会に1900人(中京区・京都ホテルオークラ)
小谷さんしのぶ お別れ会に1900人(中京区・京都ホテルオークラ)

 京都商工会議所副会頭や京都府体育協会長などを務めたイセトー取締役名誉会長、故小谷隆一さんのお別れの会が4月18日、京都市中京区のホテルで開かれた。経済、スポーツ界などで精力的に活動した故人に参列者約1900人が別れを告げた。

 会では、茶道裏千家の千宗室家元が故人に献茶する「茶湯の儀」を行い、喪主で長男の小谷達雄・イセトー社長は「多くの方々に支えられた生涯だった」と謝辞を述べた。

 小谷隆一さんは1966年に家業の伊勢藤紙工(現イセトー)の社長に就任、97年に会長になった。経済諸団体で活動して京都経済の振興に尽くす一方、府体協会長としてスポーツ界にも貢献。3月23日に81歳で死去した。

イセトー取締役名誉会長、故小谷隆一さん
イセトー取締役名誉会長、故小谷隆一さん

「京都府体育協会の小谷隆一前会長をしのぶ」

 晩年の小谷さんは、「古武士」のような雰囲気を漂わせていた。文武両道という古めかしい言葉があるが、東京大学を出た小谷さんは「青春時代には勉強ばかりでなく、もっとスポーツに親しんでほしいなー」と、よく話していた。そういう言葉が決して、浮ついたものにならなかったのは、自身が筋金入りのスポーツマンだったからだろう。

 京都府の山岳連盟とスキー連盟の会長を長く務めた。山岳は、北杜夫の小説「白きたおやかな嶺」のモデルになったほどのアルピニストだった。特に、山岳の蔵書は「小谷コレクション」として有名だった。世界的な希少本もあり、趣味の域を出て、学術上の貴重な資料だった。生前、その散逸を心配した小谷さんは、大好きな信州のためにと、大半を信州大学に寄贈した。大学では、「小谷文庫」として、山岳研究に生かしている。私は、その記事を書かせていただいたが、どこか寂しそうな、ほっとしたような表情が忘れられない。

 スキーは、自身も楽しむ一方、経営する会社「イセトー」にスキー部をつくった。雪国とはいえない京都市内のチームとあって、練習環境は決して良くなかったが、雪国勢を向こうに回して戦った。1999年の第77回全日本スキー選手権のリレー種目で見事、優勝させたのは、痛快な成果だった。会社のチームを解散した後も、「RKスキーチーム」を個人で編成、若い選手の養成に情熱を傾けた。

 国体のスキー競技では、コース沿いで京都府選手が来るのを待ちかまえ、「ガンバレー!」と、声を張り上げて応援する姿があった。本当にスポーツが好きなんだ、と感銘を受けた記憶がある。

 経済人として京都商工会議所副会頭を務めたり、京都府公安委員長など数多くの要職を歴任した。1988年の京都国体開催に当たっては、京都の経済界の協力体制づくりなどにも正面から取り組んだ。サッカーJリーグの京都パープルサンガを京セラが中心になって立ち上げたとき、小谷さんが京都全体のコーディネーターとして力を発揮した。

 やはり、軸足は常にスポーツだったように思う。心からご冥福を祈りたい。