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若き日躍動の写真、遺族に 舞鶴出身プロ野球審判員 先月に急逝

遺族に贈られた写真。右の捕手が上本さんで、バットを手にしているのが矢野さん=矢野雅史さん提供
遺族に贈られた写真。右の捕手が上本さんで、
バットを手にしているのが矢野さん=矢野雅史さん提供

 2006年5月、43歳で急逝した舞鶴市出身のプロ野球セントラルリーグ審判員上本孝一さん=埼玉県朝霞市=の遺族に、高校時代に対戦した元球児が「慰めになれば」と四半世紀前の試合写真を届けた。若き日の上本さんが躍動する一枚を手にした妻の美代子さんは「私の知らない上本が写っている写真をいただき、ありがとうございます。野球から得た縁があってこそ」と感謝の言葉を口にした。

 元球児は京都市東山区今熊野南日吉町、京都市職員矢野雅史さん(41)。5月5日に上本さんが亡くなった記事を雑誌で目にした。矢野さんは日吉ケ丘高2年だった1981年7月、第63回選手権京都大会1回戦で上本さんが捕手をしていた西舞鶴高と対戦し、実家にその時の写真があることを思い出した。

 「話したことはないが僕らが見たことがないくらい肩が強かった印象がある。野球のつながりを感じた」と鮮烈な記憶がよみがえった。上本さんが本塁上のクロスプレーで審判に「アウト」と確認する写真で、友人にパソコンで複製してもらいセ・リーグを通じ家族に贈った。

 西舞鶴高から1982年にドラフト5位で広島へ入団した上本さんは一軍出場がないまま退団し、米国の審判学校を経て85年からセ・リーグの審判員に転身した。通算1412試合で審判を務め、2004年には日本プロ野球選手会が選手を対象にしたアンケート「選手が選ぶベストアンパイア」でセ・リーグ3位に入るなど、信頼されていた審判だった。

 亡くなる前日の5月4日にも一塁塁審を務めていた。矢野さんは「何万人もの前で試合を引っ張る激務。私も学童野球で審判をすることがあるが同じ野球が好きな者として他人事ではない」と思いやる。20日には家族の手元にその写真が届いた。美代子さんは「多くの人に支えられていたとあらためて思いました。感謝しています」と静かに話していた。

試合前にベースボールドッグとボールの受け渡しの練習をする上本さん(05年4月17日、広島市民球場)
試合前にベースボールドッグとボールの受け渡しの練習をする上本さん
(05年4月17日、広島市民球場)