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死亡 清水茂氏(しみず・しげる=前花園高硬式野球部監督) 前花園高野球部監督

清水茂氏
清水茂氏

 2007年2月27日午前0時53分、胃がんのため京都市右京区花園宮ノ上町2の自宅で死去、74歳。京都市北区出身。葬儀・告別式は3月1日午前10時から京都市右京区西院東貝川町46の3、セレマ天神川ホールで。喪主は妻妙子(たえこ)さん。

 立命館大4年のとき同野球部初代監督に就任。退職した1998年3月まで45年間、監督を務めた。春夏計2度、甲子園出場。プロ野球の斉藤明夫(横浜ベイスターズコーチ)や伊藤智仁(東京ヤクルトスワローズコーチ)らを育てた。1989年から6年間、京都府高野連の理事長を務めた。

■斉藤明夫、伊藤智仁ら育て 緻密采配、2度甲子園

中日にドラフト1位指名された中村武志捕手(現横浜コーチ)と握手を交わして祝福する花園高の清水茂・前監督(1984年11月、京都市右京区・花園高校)
中日にドラフト1位指名された中村武志捕手(現横浜コーチ)と握手を交わして祝福する
花園高の清水茂・前監督(1984年11月、京都市右京区・花園高校)

 京都の高校野球史を彩ってきた強豪の花園高で、半世紀近く指揮を執った清水茂・前監督(七四)が27日、亡くなった。甲子園へ母校を2度導いたほか、府高野連理事長を6年務めるなど高校野球とともに歩んだ人生だった。野球関係者や教え子から惜しむ声が続いた。

 花園高在学中に硬式野球部を創設し、立命大在学中の1954年に「学生監督」に就任。98年の同高退職まで、45年に渡って初代監督を務めた。洛星高の西野文雄・前監督は「夏の準々決勝で6点差を逆転されるなど、粘り強い野球で何度も痛い目に遭わされた。緻密(ちみつ)な采配を勉強させてもらった」と振り返る。

 退職後は府高野連の顧問として西京極球場に詰め、現役理事らを支えた。井上明・府高野連理事長代行は「昨夏の京都大会で雨天順延が続いた時、温かい言葉をかけて頂いたのが忘れられない」と声を落とした。

 プロ野球選手も数多く育て、ヤクルトの伊藤智仁・投手コーチは「青春時代の恩師で、一番初めに野球を教わった人。主将だったので相談することも多かったが、投球術だけでなく精神的なことを含めて、厳しく優しく指導してもらった」と思い返す。元大洋で現在は横浜ベイスターズの斉藤明夫・投手チーフコーチは「センバツで甲子園に初出場した時、監督は喜びつつも驚いていたのを思い出す。頭ごなしにしかる人が多い世代なのに、厳しく怒られた記憶がない。諭すように穏やかに言い聞かす人だった」と懐かしそうに話した。

 現在の小瀬博孝監督は85年夏の甲子園に出場した際の主将。「一流選手を集めるのではなく、やる気のある選手を猛練習で鍛え上げるチームづくりだった。退任後はグラウンドにあまり来られず、遠くから見守っている感じだった。甲子園で初勝利を挙げ、まだ流れたことがない校歌を墓前にささげたい」と話している。