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金野滋氏が死去 元ラグビー協会会長、国際派 84歳

金野滋氏
金野滋氏

国際派としてラグビーの競技普及に尽力した金野滋(こんの・しげる)日本ラグビー協会名誉相談役が二○○七年四月一日午後十一時、脳血栓のため東京都内の病院で死去した。八十四歳。東京都出身。自宅は公表していない。葬儀・告別式は九日午前十一時半から東京都港区芝公園四ノ七ノ三五、増上寺光摂殿で。喪主は長男正(まさし)氏。(20面に関連記事)

 同志社大でFWとして活躍。一九四七年の卒業後は、巧みな英語力でオックスフォード大など来日チームとの橋渡し役を担った。六八年のアジアラグビー協会設立に尽力し、事務局長。英国遠征やワールドカップ(W杯)などでは団長として日本代表を率い、九五年から二〇〇一年まで日本協会会長。国際ラグビーボード(IRB)常任理事も務めた。八五年に大英勲章を受章。

日本ラグビーの地位向上 京の関係者ら落胆

大英勲章の伝達式で笑顔を見せる金野氏(左)(1985年2月15日、東京都千代田区の英国大使館)
大英勲章の伝達式で笑顔を見せる金野氏
(左)(1985年2月15日、東京都千代田区の英国大使館)

 同大出身で日本ラグビー協会会長を務めた金野滋氏(同協会名誉相談役)が1日、亡くなった。巧みに英語を操り、「シギー」の愛称で呼ばれ海外のラグビー関係者に友人も多かった。京都のラグビー関係者はその人柄をしのび、京都から送り出した国際派リーダーの死を悼んだ。

 同大卒業から5年後の1952年。初来日したオックスフォード大の通訳を務め、京都の観光案内役も担った。来日チームの世話役を務めて多くの選手と友情を築き、同大ラグビー部の後輩にあたる岡仁詩・同大名誉教授(七七)=京田辺市=は「海外での方が有名なくらい。欧州の各協会でトップに立つ人も自分たちの仲間、という意識だった。世界で一目置かれる金野さんがいたからこそ日本が認められたという側面がある」と功績を語る。

 同大のニュージーランド遠征(66年)や日本代表遠征など何度も金野団長、岡監督体制で世界に挑んだ。英国のラグビー発祥の地には競技の発展に貢献した人物名が敷石に刻まれており、唯一の日本人として金野氏の名前がある。最近まで母校の試合観戦で関西まで足を運ぶ姿が見られ、岡名誉教授は「同志社が本当に好きだった。あまりに思い出が多すぎて…」と言葉を詰まらせた。

 関西協会の川勝主一郎会長(七五)=京都市右京区=は「外国ではシギーの愛称で呼ばれ、試合後の交流会では流ちょうな英語でスピーチを披露するなどまさに『世界の人』という感じだった。ラグビーが過渡期の今、もっとにらみを利かせてほしかった」と惜しんだ。

 大体大の坂田好弘監督(洛北高-同大-近鉄)は69年のニュージーランド留学の出発前日、自宅に泊めてもらい激励された。「学生に教えている交流会のマナーも学んだ。海外の流儀や英語の大切さなど本当に大きな影響を受けた」と振り返った。