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岡仁詩氏が死去 元同大ラグビー部監督 77歳

岡仁詩氏
岡仁詩氏

 同志社大ラグビー部の「育ての親」で、監督などとして全国大学選手権で史上初の三連覇を飾ったほか、日本代表監督も務めた同大学名誉教授の岡仁詩(おか・ひとし)氏が二○○七年五月十一日午後零時五十分、城陽市内の病院で死去した。七十七歳。大阪市出身。通夜、告別式は近親者のみで行う。自宅は公表していない。

 旧制天王寺中(現天王寺高)出身で、同志社大ではFWとして活躍し、卒業後の一九五九年、二十九歳で監督に就任した。海外の戦術を取り入れた斬新なラグビースタイルを構築。六二年、NHK杯(日本選手権の前身)を制して初の日本一に輝き、六四年には第一回日本選手権で優勝した。

 全国大学選手権は八一年に初制覇し、八三年からは現在も連勝記録として残る三連覇を達成。選手自らが考える指導を大切にし、「形がないのが同志社」と掲げるスタイルは「自由なラグビー」と注目された。元日本代表監督の平尾誠二氏(神戸製鋼ラグビー部総監督)元日本代表の大八木淳史氏ら個性派選手を数多く輩出。関西大学Aリーグでは八五年まで七十一連勝を果たした。

 監督の後、部長、ヘッドコーチ、総監督などとして教え子の指導者をサポートし常にラグビー部の支柱であり続けた。七二、七五、八五、八六年の四度にわたって日本代表監督に就任したほか、日本協会強化委員長も務めた。大学では九五年に退官するまで文学部の体育担当教授として教壇に立つ一方、学生部長として京田辺キャンパスの開設準備にも当たった。

■優しさ印象的

 同志社大OBで元日本代表監督の平尾誠二さんの話 先月会ったときは元気だったので驚いてます。戦略や戦術はもちろん、自ら厳しい選択をすることで仲間の信頼を得ることができるという、ラグビーに対する考え方の基礎を教えてもらいました。『しょせん人間のやることやないか』という優しい言葉が一番印象に残ってます。

「ラグビーは楽苦美」実践 「考える姿勢」常に 大学3連覇 同大に開花

ラグビー全国大学選手権で優勝し、喜ぶ岡仁詩氏(83年1月、国立競技場)
ラグビー全国大学選手権で優勝し、
喜ぶ岡仁詩氏
(83年1月、国立競技場)

 同大ラグビー部を強豪に育て、日本ラグビー界に大きな足跡を残した岡仁詩氏が、11日亡くなった。

 「形がないのが同志社の形」。大学ラグビー界に一時代を築いた同大独自スタイルは、学生に考えさせる岡氏ならではのコーチ哲学と、競技の本質を見抜く観察眼が下地だった。

 学生時代から、洋書を入手して戦術を研究した星名秦・元同大学長(故人)と、京都市内の喫茶店でラグビー理論を話し合った。学んだ「考えるラグビー」への姿勢は、指導者になっても変わらず、個性派選手を生み出す土台になった。

 教え子で、ニュージーランド・カンタベリー州の代表にもなった大体大の坂田好弘監督には忘れられない言葉がある。同大1年の夏合宿で会心のトライを決めたが、「真っすぐ走れ」と怒られた。自問自答を続け、3年でようやく小さなフェイントでかわす技術を身につけた。「あの言葉に導かれて技術を完成させたから、世界に通用するようになった」。85年に同大の関西リーグの連勝を71で阻止したのは大体大。今月5日の同志社ラグビー祭でも対戦、「岡先生と『ラグビー人として会えるのがうれしい』と話した矢先。ショックです」と声を詰まらせた。

 考える姿勢はドライビングモールやショートラインアウトなど現在の基本戦術の原型をあみだし、大学3連覇として花開いた。

 当時の中心選手だった大八木淳史さんは「部員の前でセービングの実技を見せるなど、いつも体を張って指導した」と思い返す。FWの大八木さんがけったキックが大ピンチを招き、批判を浴びた試合があった。しかし岡氏は「1年生の発想についていけないようではだめだ」と逆に上級生を諭したという。訃報(ふほう)に「ラグビー史の1ページが閉じられたようで寂しい」と声を落とした。

 3連覇時に4年生だった東田哲也さん(ワールド・ゼネラルマネジャー)は岡氏自身も練習に加わり、バックスのサインプレーで手本を示して「どや、いいと思わへんか」と選手にヒントを示したという。思い出すのは「ラグビーは楽苦美だ。楽しく、苦しく、美しく」という言葉。「同大ラグビーの在り方だと思うし、先生の生き方でもあると思う」と話した。

 現役当時に指導を受けた中尾晃監督は「独特の理論家で、ラグビーをずっと研究されていた。本当にラグビーが好きで。その姿勢は同志社に受け継がれているものです」と死去を惜しみ、今後の躍進を誓った。

■驚きと悲しみ広がる

 ○…岡氏急死の知らせを受けた同大ラグビー部には驚きと悲しみが広がった。中尾晃監督は「『ええっ』という感じです。金野(元日本ラグビー協会会長、同大出)さんが亡くなったと思ったら、先生まで…。つらいですね」と絶句した。

 チームは13日に花園ラグビー場で行われる慶大との定期戦に向け京田辺グラウンドで最終調整中。中尾監督は全体練習の最後に部員を集めて死去を伝え「週末の試合をしっかり頑張ろう」と励ました。前川泰慶主将は「手の届かないような人で練習を見てもらうだけで緊張した。慶大戦は絶対に負けられない」と決意を口にした。13日は喪章を着用し、試合前には役員、選手が黙とうする。

■喪章着け試合 きょう日本代表候補

 日本ラグビー協会は11日、岡仁詩・元日本代表監督の死去に伴い、12日に秩父宮ラグビー場で行われる日本代表候補の強化試合、日本15-クラシック・オールブラックス戦で、日本代表候補が喪章を着用することを決めた。試合前に黙とうも行う。

■普及・育成に熱心だった/教わったこと伝えていく 悼む声

 川勝主一郎・関西ラグビー協会会長(花園大監督)の話 残念で悲しい。今年の正月にラグビー界の未来について深く語りあったのに、関西だけでなくラグビー界全体の損失だ。同大から新しいラグビーを発信し、晩年は各チームや指導者にアドバイスを続け、陰でラグビー界を支えてもらった。高校の大会も精力的に視察され、普及・育成に熱心だった。人望ある大先輩を失いショックだ。

 OBで組織する同志社ラグビークラブ・安村清会長の話 亡くなる間際までラグビー、ラグビーで、他には欲のない人だった。頑固なところもあったが、多くの皆さんに慕われた同志社の宝。第一線から退いても、いてもらうだけで心強かった。

 山口良治・伏見工ラグビー部総監督の話 常に選手の気持ちになり、モチベーションをうまく与えられる指導者でした。現役、監督時代を通し、わたしにとって非常に大きな存在。ラグビーや教育のことで悩んだ時も、会うたびに言葉をかけてもらい、一言で表せないほどのご指導をいただいた。今日の伏見工があるのも岡さんのおかげ。岡さんからこれまでに教わったことを、若い人に伝えていきたい。

 大西健・京産大監督の話 突然の訃報に驚いた。ぼくの最も尊敬する先輩だった。同大と対戦すると、勝負に対する真摯(しんし)な執着心で、完膚なきまでに圧倒された。打倒同大を掲げての挑戦は、ぼくにとって大きな勉強だった。以前、関西の大学教員を集めたラグビー研究会で指導を受けたことがあり、最大の恩師です。

■個性探しチーム伸長

 絶やさないクールな笑顔と決して揺らがないラグビーへの情熱。どこまでも研究熱心でありながら、負ければ「しゃあない」とあっさり割り切る。そんな懐の深い岡仁詩氏の個性が、大学ラグビーで異彩を放つ同大をつくりあげてきた。

 金字塔として輝く大学3連覇。平尾誠二ら逸材に恵まれたことに目を奪われがちだが、岡氏の学生スポーツへの考え方が強く影響した。集団性が強い競技で重視するのは「個人」。チーム戦術に個人をはめず、個人に合わせてチームをつくる。毎年選手が入れ替わる不安定さが新たな個性を探し、能力を伸ばすバネだった。「勝つために努力するが、負けて何も残らない学生スポーツでは困る。反省すれば進歩」。結果だけにこだわらず、本質を追い続ける姿勢が指導の根幹だった。

 鮮烈なまでの「個人主義」。原点は抑圧された軍国主義の時代に過ごした少年期だという。繰り返し聞いたのは「大切なのは自分で考え判断し、行動すること。そして自分で責任を持つこと。それはラグビーそのもの」。監督が試合中に指示できない競技でもあり、選手に自主自律の徹底を求めたのは自然だった。

 「命がけ」という言葉を嫌った。1989年の宝が池球技場。関西リーグの試合に勝った瞬間、心筋梗塞(こうそく)で倒れて病院に運ばれた。「勝った瞬間を見て死んで、他人から本望と思われることが嫌で絶対に死ねないと思った」と話した。試合を控えた選手に激しい言葉を浴びせることもない。5日にあった同志社ラグビー祭の大体大戦でも静かに選手の動きを見つめた。

 大学王座から離れて22年。苦しむ同大への助言を聞くと、「戦い方に新しい、古いもない。何でもできる。勝手なことをすればいい」。勝利への近道を教えることはしない。学生に考えさせる姿勢は最後まで変わらなかった。