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中村雅彦氏死去 平安高率い甲子園13回

中村雅彦氏
中村雅彦氏

 高校野球の強豪・平安高(京都)を率いて一九六〇年代に春夏計十三度の甲子園出場を果たした元同高野球部監督の中村雅彦(なかむら・まさひこ)氏が二〇〇七年七月十二日午後五時十分、肝不全のため京都市西京区の病院で死去した。六十九歳。京都市出身。自宅は京都市中京区大宮通御池上ル。葬儀・告別式は十五日正午から京都市右京区西院東貝川町46の3、セレマ天神川ホールで。喪主は長男好邦(よしくに)氏。

 平安高在学中に外野手として二度、甲子園に出場し、同志社大卒業直後の六〇年に母校監督に就任。六一年春の選抜大会でベスト4入りしたのをはじめ、春夏で計五度ベスト8に進出するなど六九年に退任するまでに甲子園で通算十五勝を挙げた。教え子にはプロ野球の連続試合出場記録を持つ衣笠祥雄氏(元広島)らプロで活躍した選手も多い。退任後は同志社大講師を務めながら、中学野球への科学的トレーニングの普及や高校野球の解説などに携わった。

■基礎作ってくれた

 衣笠祥雄さん(野球評論家)の話 僕の野球の基礎を作ってもらった方。技術を詰め込むのではなく、なぜ打てなかったか、なぜ打たれたかを生徒に考えさせ、答えを出すまで待ってくれた。それがプロになっても困った時に自分で考える原点になった。(平安が)甲子園の常連だった時の監督が亡くなられ、一つの時代が終わったのかなという気持ちがします。

中村元平安高 野球部監督死去
投球数など先進的提言 全員に目標与えて競争
「頼むぞ」「頑張れ」 励ましうれしく

1964年夏の京滋大会で比叡山を破って甲子園出場を決め、選手らに胴上げされる平安高の中村元監督(同年8月2日・西京極球場)
1964年夏の京滋大会で比叡山を破って甲子園出場を決め、
選手らに胴上げされる平安高の中村元監督(同年8月2日・西京極球場)

 平安高野球部監督として春夏の甲子園で計15勝を挙げた中村雅彦氏が12日、亡くなった。衣笠祥雄氏(元広島)らの好選手を育て、京都の野球界に大きな足跡を刻んだ中村さんの死を、多くの野球関係者が悼んだ。

 勝村法彦・京産大監督(平安高OB)「自分が社会人の監督になったころに中村先生と小中学生対象の野球講習会を始めた。子どもたちが成長できるよう投手の投球数制限を呼び掛けるなど先進的な提言をされた。そうした経験は自分の指導方針にも反映されている。今は大きな悲しみと感謝の気持ちでいっぱいだ」

 原田英彦・平安高監督「私が監督に就任した時、中村先生に『頼むぞ』と言っていただき名門復活への思いをひしひしと感じた。僕らにとって黄金期の監督。負けんとこという気持ちもあった。病気になられてからも、よくお会いし、ずっと見ていただいていた。残念です」

 井上明・京都府高野連理事長「自分が同大野球部時代の4年間、コーチをされていた中村さんにお世話になった。野球の話なら何時間でも話をされる情熱が印象的だ。部員数が多くても、全員に目標を与えて競争に勝ち残った者をレギュラーにすることを教えられた。元気なら京都大会の解説をしていただきたかったのだが。それが悔やまれる」

 西野文雄・京都府高野連前理事長(前洛星高監督)「テレビの解説をされている時に取材を通じ『文武両道は大変だが頑張れ』と励ましていただいた。その後、息子の好邦さん(現洛星高監督)も洛星に入学された。6月にお見舞いした時、息子さんの監督としての将来などまだまだ楽しみが多いですよと声を掛けさせてもらったが。残念です」