京都新聞社TOP

情熱ハートストーリーズ指導者編 川勝主一郎監督(花園大ラグビー部)

■「今に見ておれ」 反骨の演出家

川勝主一郎監督

 「怖かった昔の僕を知る選手はいない。鬼どころか、仏の川勝ですよ」。孫のような大学生を前に、花園大ラグビー部の川勝主一郎監督(77)は表情を崩した。花園高、花園大で指導し51年目。長くグラウンドに立ち続けてきたが、国体を除けば全国優勝の経験はない。「頂上でものを見ていない、という思いがあるから今も続けているのかも」。何度はね返されても、闘志を燃やして挑んだ半世紀だった。

 30代半ばまで演劇に熱中し、指導者としてのスタートは遅かった。20代から新劇「くるみ座」に所属し、映画にも出演。銀行強盗や詐欺師など悪役が得意で、テレビドラマ「部長刑事」などで活躍した。役者では生活が安定せず、花園高教諭になったのが27歳のとき。競技経験を買われ監督になったものの、部員3人の寂しい出発だった。

 練習試合は大敗ばかり。でも驚くほどの弱さに、「何とかせないかん」と意地が出てきた。校内合宿を張れば、強豪クラブには後援会から差し入れが届く一方で、ラグビー部は炊き出しの質素な食事ばかり。「今に見ておれ」。指導者として反骨心が芽生えると、演劇からは自然と足が遠のいた。

 走力とパスを反復練習で磨き、基本に忠実なプレーを教えた。指導にのめり込むと、演劇との共通点に気づいた。舞台の稽古(けいこ)はグラウンドの練習と、せりふはパスと同じだ。鍵を握るのは個人技とチームワークのバランス。ラグビーは「個人競技」の要素も大きく、演出によっては大きな結果を得ることもできる…。

 初出場となった1965年の第44回全国高校大会で4強入りすると、第52、54、56回大会で準優勝。だが、最も全国頂点に近づいたのは89年度の69回大会だった。準決勝で天理(奈良)と6-6で引き分け、抽選で決勝進出を逃した。天理は決勝で快勝し、そのまま頂点に立った。「最後はスクラムを押して認定トライの寸前だった。勝たないといけない試合だった」と今も悔やむ。

 3度の全国準優勝の後、指導者として悩む時期が訪れた。「喜びすぎだ」「生意気や」。自分を批判する声が上がり始め、チーム内でも不信感が高まっていたことにショックを受けた。反省し、指導方法も問い直してみた。それまでは選手を型にはめ込んで思うように動かし、いつもピリピリした空気が漂っていた。頭ごなしの指導はやめ、個人プレーを重視した。伸び伸びと練習させ、創造性を引き出すように工夫した。

 そのころ伏見工が台頭し始め、京都の高校勢力図に変化が表れた。全国大会への連続出場も11年で途切れ、代表を逃すシーズンも目立ってきた。無念さは競技場に置いて帰り、帰宅する車のハンドルを握りながら思いを巡らせた。「結果こそ出なかったが、このチームは自分にとって最高傑作だった。来季はどんな出会いがあるだろうか」。そう思うと、新たなエネルギーがわいてきた。

 指導16年目を迎える関西大学Bリーグの花園大。数年前からは循環器系の病も抱えながら指導を続ける。細かな技術指導は教え子の江森隆史コーチに任せ、主な役割は学生のメンタル面の指導だ。「この年になって、教育は待つことなんやと分かった。待ち続けても学生が変わる保証はないけど、明日変わる可能性もある。忍耐力が必要なんだと」。真っすぐに選手と向き合う姿勢は、今も変わらない。

かわかつ・しゅいちろう
 1931年、京都市生まれ。立命大、滋賀大専攻科修了。花園高監督として全国高校大会に府内最多の計20度出場。03年に関西協会会長に就任。31年間にわたり京都府協会理事長を務め、現在会長。

(2009年11月3日付け紙面から)