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情熱ハートストーリーズ 指導者編 楠本正美監督(ニチダイ硬式野球部)

■つらい経験 次はへこたれない

楠本正美監督

 京都府宇治田原町にあるニチダイ硬式野球部のグラウンドに軽快な声が響く。選手の輪の中心に選手兼任監督の楠本正美(30)がいた。国内に85を数える企業チームで、若さが際立つ監督だ。仕事の作業着からユニホームに着替えると、ノック、打撃投手とフル回転で動く。「監督がこんなに難しいとは…。毎日が勉強」と笑顔の中に本音がこぼれた。

 平安高(現龍谷大平安高)3年で副将を務め、遊撃手として1997年夏に川口知哉投手(元オリックス)らと甲子園で準優勝を果たした。近大を経てニチダイに入社し、1年目から強打の内野手として活躍。チームも元阪神の桑野議(くわのはかる)、野田浩司氏らを指導者に招き、04年から2年連続で日本選手権に出場。06年には都市対抗出場など着実な歩みを見せた。

 ところが以降は不振が続き、全国大会から遠ざかった。昨年6月に都市対抗出場を逃すと、チームは社員だけで運営するスタイルに切り替わった。当時主将だった楠本は社長から直接、監督就任の指示を受けた。「当初はもっと試合に出たいという思いが強かった」と思い返す。

 ベンチで指揮を執りながら、指名打者や代打で出場する試合が続いた。でも選手勧誘などで練習時間が限られる一方、自分のプレーに集中すると監督として全体が見えなくなる。中途半端だと思い、「120パーセントの力を注げる道を選ぶべきだ。監督に専念する」と決断した。選手兼任の肩書は残ったものの、今季から指導に撤するようになった。

 今季から肌身離さず持ち歩いているメモ帳には、選手の動きを見て感じたアドバイスが書き込まれている。「無駄だと思うほど足を使え」「もっと大げさに動こう」…。思いついたことを丹念に書き残し、「選手個々に応じて理解しやすい言葉を選んでいる」。昨冬、思い切った改革に着手した。全体練習の時間を半分程度に短縮した一方で、メニューの密度を高めた。体力トレーニングでは全体をA、Bチームに分けて競わせることで勝つ意識の浸透をはかった。走り込みも例年の2倍、3倍と量を増やした。

 だが、今シーズンも結果は出せなかった。都市対抗、日本選手権はともに予選でクラブチームに敗退。体力、技術の両面で手応えを得て臨んだが、緊迫した接戦になるほど選手は力を出し切れなかった。「漠然と精神力と言っても、形がないものを選手に伝えることは難しい。監督の仕事に明確な答えはないと気づいた」。さらに試練が追い打ちをかけた。今年5月、入社時の監督で野球部顧問だった西垣一(にしがきまこと)氏が亡くなった。指導者の心得から細かなベンチワークまでを教えてくれる存在だった。亡くなる直前に病院から届いた、選手個々の癖や課題を記したメモがお守りになった。

 監督として苦しみ続けた1年間。でも今思えば、貴重な体験ばかりだった。打ち込まれて立ち尽くした若手投手、緊張に押しつぶされ好機で凡退した打者…。「つらい経験をした選手は、次は絶対へこたれない」。自分もスクイズのサインを出す重圧を初めて味わった。

 監督の難しさを思い知り、もがく日々が続く。それでも「監督になって良かった。この年齢で経験できた分、得るものも多いと信じている」と表情は明るい。来年春には自分が探してきた新人5人がチームに加わる楽しみも待つ。指先が痛いほどの寒さに包まれる初冬のグラウンドで、若き指導者はチームの先頭に立つ。

くすもと・まさみ
 城陽市生まれ。小学2年で野球を始め、平安高、近大を経て、2002年にニチダイ入社。内野手として1年目からレギュラーとなり、都市対抗には補強選手も含めて計4度出場。宇治市在住。

(2009年12月1日付け紙面から)