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不屈の再挑戦 直球勝負 京出身・山田秋親投手

■ソフトB戦力外→独立リーグ→ロッテ入り

再びプロ野球に挑戦する千葉ロッテの山田(右)。宇治市で開かれた野球教室で、広島の倉義和捕手らと記念撮影に収まった=昨年12月27日
再びプロ野球に挑戦する千葉ロッテの山田(右)。
宇治市で開かれた野球教室で、広島の倉義和捕手らと
記念撮影に収まった=昨年12月27日

 2008年秋、プロ野球ソフトバンクから戦力外通告を受けた京都市出身の山田秋親(あきちか)投手(31)が独立リーグを経て千葉ロッテに入団した。プロ野球選手が独立リーグを経て復帰するのは極めて異例。最高峰の舞台に再挑戦することになり、「うれしい半面、また厳しい道に入る。気を引き締めたい」と静かに闘志を燃やす。

一軍目指し「万全期す」

 本格派右腕として北嵯峨高3年の夏に甲子園出場。立命館大でもエースとして活躍し、シドニー五輪(00年)の日本代表にも選ばれた。だが注目を集めて01年に入団したダイエー(現ソフトバンク)では、ひじや肩の故障に悩まされた。7年間の通算成績は15勝11敗。最後は自慢の快速球が140キロに届かなくなり、08年オフにユニホームを脱いだ。

 だが、野球をあきらめなかった。復帰を見据え、すぐに右肩の手術に踏み切った。痛みの不安を抱えながらも、09年2月に四国・九州アイランドリーグ「福岡レッドワーブラーズ」の練習生として再出発。プライドを捨て、若手ばかりのチームに飛び込んだ。

 順調に回復し、9月に福岡に入団。実戦を重ねながらリハビリを続けると、球速も146キロまで戻り「真っすぐで空振りが取れるようになった」。復帰への関門となった11月のトライアウトでも、打者4人から2三振を奪ってアピール。ロッテから声がかかった。

 北嵯峨高時代の恩師、卯瀧逸夫・現立命館宇治高監督(60)は「運がいいのもあるが、まじめに努力を続けてきたことがすばらしい。一軍に定着して活躍してほしい」とエールを送る。 1度目のプロ生活は焦りもあり、故障の痛みを隠してマウンドに立った。その反省から「今度、体を痛めたら本当に選手生命が終わってしまう。万全を期してやりたい。ストレートにこだわってみたい」と再挑戦への決意を話した。

(2010年1月19日付け紙面から)