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(2)体操の遠藤幸雄さん

2009年05月28日

 2009年3月25日に亡くなった体操の遠藤幸雄さんの「お別れの会」が5月24日に、東京都内のホテルで開かれた。京都新聞の5月25日付け朝刊19面に、小さな記事が出た。約700人が参列したとある。

 遠藤さんは1964年(昭和39年)の東京五輪で、日本人初の個人総合金メダルを胸にした。当時、筆者は高校生だった。その前の五輪、1956年のメルボルン、1960年のローマでは、「鬼に金棒小野に鉄棒」と言われた小野喬選手が2大会連続銀メダルだった。「体操ニッポン」といわれた時代だった。

 東京五輪の遠藤さんは、自由演技の平行棒と床がともに9・75(当時は10点満点)。鉄棒とつり輪は9・70、跳馬が9・65と、順調に進んだ。最後が苦手なあん馬。ライバルで、ローマ五輪金メダルのシャハリン選手(ソ連=当時)が最後の床で9・50に終わっていた。遠藤さんは、このあん馬で8・55以上を出せばよかった。緊迫した会場の雰囲気の中で演技が始まった。遠藤さんは、足をひっかけ、しりもちをついたのだ。大幅な減点を覚悟した。審判が協議し、なかなか出ない得点。結果は9・10だった。

 ソ連が抗議する。しかし、9・10は決まって、日本人選手初の五輪個人総合金メダルとなった。遠藤選手のインタビューのテープ(NHK放送)を持っている。聞き返してみると、遠藤さんは「個人優勝ですけれども、小野さんは過去メルボルン、ローマで0・05差で負けました……今日、私は9・1(の点は)もらいすぎたかもしれませんけれども、それでも、まだ0・55の差があって少しは救われた気持ちです」。個人総合金メダルへの執念、謙虚なコメントが今も印象に残っている。

 半世紀近く経った今、再び「東京五輪」の招致(2016年 平成28年)運動が進められている。今年10月には、開催地が決まる。天国の遠藤さんは東京五輪の再現をどう思っておられるだろう。