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(16)サッカー殿堂入りの賀川浩さん

2010年11月29日

■ご意見番、健在―神戸で祝賀会

祝賀会のパンフレットから。賀川さんの取材姿。
祝賀会のパンフレットから。
賀川さんの取材姿。

 サッカー記者として、サッカー界のご意見番としての「先達」である賀川浩さん(1924年生まれ)が、2010年に「サッカー殿堂」入りし、11月25日に神戸市のポートピアホテルで祝賀会が開かれた。賀川さんの親交のあるサッカー関係者が発起人となり、形式ばったパーティーではなく、サッカーを愛する人たちが、心からの笑顔を持ち寄った。

 最初に祝辞を述べたのは、鬼武健二さん。ヤンマーで選手として活躍、Jリーグ前チェアマンで、日本サッカー協会名誉副会長。「賀川さんは、今もペンをとっておられて、すべての人が拍手を送る殿堂入りです。ワールドカップサッカーは、1974年の西ドイツ大会からの9回を見て、賀川さんの目でいろいろと分析、報道されています。2014年ブラジル大会も是非、伝えてほしい」と述べました。

1979年、ワールドユースで来日した19歳のマラドーナ選手と
左:1979年、ワールドユースで来日した19歳のマラドーナ選手と
右: 2000年に、日本サッカー界の大恩人であるドイツ人のコーチ、クラマーさんと。

 サッカー評論家のセルジオ越後さんは、「賀川さんと出会わなかったら、私は今ここにいない。(Jリーグの前身の日本リーグ時代に)所属していたチームが経済的な理由でリーグを撤退することになり、『どうしよう…』と思っていたときに、賀川さんがチームの上層部にかけあってくれた。結局、日本サッカー協会の初めての全国サッカースクールに携わることになり、50~60万人の子どもたちと接することができた。サッカースクールという名称の名付け親は賀川さんであり、私は、賀川さんと一緒に日本のサッカーを世界レベルにもっていく夢をみさせてもらったのです」と話した。

 元アシックス役員で、神戸フットボールクラブ会長の植月正章さんが、「賀川さんがサンケイスポーツの編集局長時代、女子マラソンの草創期を支えられた。今、第二次マラソンブームと言われるが、そのことを忘れてはならない」と祝辞を述べ、乾杯の発声をした。

 会場では、賀川さんとサッカーのかかわりがスライドで紹介されたり、お祝いのフラメンコダンスが披露されたり、サッカー場さながらの熱気につつまれた。出席者が賀川さんを囲んで、サッカー談義に花を咲かせた。

 最後に、賀川さんが「この会が楽しい同窓会になれば、と願っていました。振り返ると、たくさんの人のおかげで、たくさんのことができました。手で(プレー)する野球がこれだけ盛んな国で、足でするサッカーがよくぞこれまで盛んになった。(日本のサッカーが)負けてもあきらめず、練習をしてきた成果だと思います。そろそろ、向こうの世界にいる仲間に、『日本のサッカーは今、こんな様子だぞ』と教えてやらないといけませんが、2014年のブラジルW杯を見に行きたい気持ちもあります」と、締めくくり、大きな拍手に包まれました。


 最後に、私は1979(昭和54)年に日本でワールドユース大会が開かれたときからサッカー記者をして、96年から99年までの正味2年半、京都サンガに出向してクラブ運営に少し携わりましたが、賀川さんには折りに触れ、指導していただきました。祝賀会を前に、ご本人からお誘いのお電話をいただき、感激した次第です。