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(17)日本体協・JOC 100周年シンポジウム

2010年12月12日

■スポーツで考える「環境と共生」の時代

パネルディスカッションであいさつをする桝岡会長、レセプション会場
(パネルディスカッションであいさつをする桝岡会長、
レセプション会場)

 日本体育協会・日本オリンピック委員会(JOC)の創立100周年記念シンポジウムが2010年12月11日、京都市左京区の京都会館で開かれた。京都府体育協会をはじめ、競技団体の関係者が集い、基調講演と、パネルディスカッションを通して、スポーツと環境問題の接点を探った。最初に、日本体協の岡崎助一専務理事があいさつ。京都府体協の桝岡義明会長が「日本のスポーツ100年を土台に、これからの100年を考えよう。40年前、ドイツのテーマがすでにスポーツと環境だった。日本は遅れている感はあるが、今こそ、COP3の京都議定書の意味を考える時だ」と、シンポジウムに期待を込めた。

 まず、基調講演があり、東京大の月尾嘉男名誉教授が行い、21世紀のスポーツは環境問題に挑戦していくことが重要な役割になっている、と指摘した。

 パネルディスカッションのテーマは、『スポーツで考える「環境と共生」の時代』で、筑波大の菊幸一教授をコディネーターに、映画監督の篠田正浩氏、JOC副会長の水野正人氏、京都大環境保全センター助教の浅利美鈴氏、登山家の田部井淳子氏がそれぞれの視点で話した。各氏の発言の要旨を紹介する。

○篠田氏

 私は、岐阜の高校で陸上の400メートルを走っていた。昭和23年、第3回国体が博多であり、戦後間もない食糧難の時代だったので米3升を持参して大会に参加した。岐阜の外へ出たのは、この時が最初だった。国体は昭和21年が第1回で、京都を中心に開かれたが、戦後復興にスポーツが大きな役割を担っていた。私は、博多の国体の400メートルで、あっけなく予選で敗退した。それでも、アメリカの進駐軍の兵士を見て、スポーツで体を鍛えないとなにかにつけて勝てないと思った。早稲田大に進んで競走部に入ったのも、そのような考えからだ。

 400メートルの練習をしていて、コーチの中村清さんから「君の400メートルでは(世界に)通用しないが、そのスピードで5000メートルを走ればいける」と言われた。なぜか、箱根駅伝の2区に起用されて走った。箱根駅伝は正月に、しかも、山を登って権現様に会って帰ってくるレースであって、いわば神事である。だからこそ、今まで続いているといえる。

 映画監督になって、1972年の札幌五輪の記録映画制作を引き受けた。長く斜度のあるスキーの滑降コースを国際基準で作ろうとすると、原生林を切り開かないと無理だった。五輪が初めて環境問題に遭遇した。北海道の寒さでは、一度切った木は、大木になるのにものすごく時間がかかる。滑降コースは、大会後、閉鎖して自然に戻すことになった。記録映画の最後に、大会後に滑降コースを閉鎖するというメッセージをハッキリと発信してもらった。

 スポーツをする場というものを、なにがなんでもスタンダードな基準にするのではなく、その場その場に合ったやり方にしていいのではないかと思う。

○水野氏

 1990年代の初めごろ、IOCのサマランチ会長は、「オリンピックムーブメントは、スポーツ・文化に加えて環境を3本柱にする」と宣言した。私は、1996年からIOCのスポーツと環境委員会委員を務めている。その活動を通してみていると、競技団体で、極力記録用紙など紙を少なくしようという運動もある。日本水泳連盟でもレースが終了したら、その都度大量の記録用紙を配らず、インターネットで出すようなこともしている。仮に、年間200万枚の紙をなくすと、木150本を切らなくて済む勘定だ。

 カーボンオフセットの考え方をスポーツに当てはめると、スポーツをすることによって環境を損なうとしても、スポーツによって得られる勇気、感動、健康というものには価値があり、それを数値化して、損なった環境を相殺できるのではないか。

 これからは、トップアスリートがスポーツを通して環境の大切さを啓発していくことを期待する。一流選手の言うことなら、PR効果は大きい。環境への取り組みは、「啓発と実践」が非常に大切だ。

○浅利氏

 京都大スキー部でクロスカントリーに熱中した。京都大ゴミ部というサークルも立ち上げて、「スポーツゴミ拾い」というようなこともした。日本人1人が家庭で1日に出すごみは1キログラムといわれている。京都でゴミの分析を31年続けているが、31年前にはなかった「使い捨て」のものが今では10パーセントある。

 環境と共生という面では、共生のための競争、切磋琢磨をしなくてはならないが、この競争という行為はスポーツから得られるものだと思う。2012年に京都マラソンが計画されているが、エコマラソンを目指してほしい。

○田部井氏

 人類がエベレストに初めて登頂したのは、1953年だった。私は、1975年、世界で38人目、女性では第1号の登頂を果たした。エベレストは、登山を1年1パーティーに限定していて、ネパール政府から許可をもらうのに1年半かかった。すべての準備期間を計算すると、1400日になり、一瞬の登頂のために、これだけ長い間努力を続けたことが素晴らしい。

 登山をスポーツとして考えると、どんなにつらくても、選手交代できないことがある。体を鍛えて、少しぐらいの寒さなら耐えられるようにしておけば、暖房の温度だって、このシンポジウム会場にように高く設定しなくてもいいし、環境にとってプラスになるはず。

 私が呼びかけ人となって、インターネットで「MJリンク」(自然に親しみたい20~40代の女性のネットワーク)を立ち上げている。「マウンテン 女性」の意味で、マイケル・ジャクソンではない。女性が美しい山を知ると、子どもたちに伝えていくはずだ、と考えている。

 シンポジウムの後は、「みやこめっせ」でレセプションを開き、京都府体協の内田昌一副会長が歓迎のあいさつを行い、主席者が歓談した。