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(29)福田さん安らかに

2012年09月13日

 京都バスケットボール協会の元理事長で、国際審判、車椅子バスケットボールの育成にも努めた福田利廣氏が2012年4月9日に永眠した。81歳だった。密葬であったそうだが、9月12日、京都市上京区の京都平安ホテルで「偲ぶ会」が開かれ、列席させていただいた。

 私は、1979年(昭和54年)に京都新聞の運動部に配属され、当時、京都バスケットボール協会の理事長を務めていた福田さんと知り合った。常に折り目正しい立ち居振る舞いで、にこやかだった。難しい国際試合を見事に裁いた強靭なエネルギーの持ち主であることは、ちょっと想像しにくい感じすらあった。

 偲ぶ会の会場には、私が良く知るにこやかな福田さんの遺影、昭和39年の東京五輪の審判の労をねぎらう感謝状、当時の京都新聞記事、愛用した審判用の笛などが飾られていた。

 黙祷の後、献杯をして、京都バスケットボール協会の関係者、東京からかけつけた審判仲間、元日本代表選手らが次々に思い出を語った。私が思い当たるのは、福田さんの「審判学」は、「選手を裁くのではなく、育てる」ことだったように思う。後年、京都の車椅子バスケットボールに没頭したが、健常者と同等のバスケットボールの楽しさを教えたのではないだろうか。

 スポーツ記者時代、いろいろなスポーツの京都の審判を取材して連載記事を書いた。そのきっかけは、振り返ると福田さんとの出会いだった。ありがとうございました。合掌。

福田さんの遺影。 福田さんを偲んで献杯
左:福田さんの遺影。右:福田さんを偲んで献杯

東京五輪の感謝状。瀬川姓は福田さんの旧姓。 右:国際審判だった京都の福田さん、南波さん(故人)、細川さんの京都新聞記事
左:東京五輪の感謝状。瀬川姓は福田さんの旧姓。
右:国際審判だった京都の福田さん、南波さん(故人)、細川さんの京都新聞記事

◎福田さんの略歴(偲ぶ会での資料から)

昭和 6年
京都市生まれ
  24年
京都市立堀川高校卒、大京化学株式会社に入社
  36年
国際審判員認定
  39年
東京オリンピック審判
  46年
第6回男子アジア選手権大会の審判。
     (はかにも国際大会の審判多数)
  48年
京都バスケットボール協会理事長(59年まで)
平成 7年
日本バスケットボール協会功労表彰
   9年
京都バスケットボール協会70周年特別表彰
  10年
日本車椅子バスケットボール連盟功労賞