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(31)「スポーツの歴史─10月編」

2012年10月01日

 東京オリンピックは、筆者が高校生のときだった。教室でテレビ観戦をした記憶がある。スポーツは、まだまだアマチュアリズムが厳然とあったが、オリンピックもすでにプロとアマの垣根が無くなった。


○3日(1964年) 日本武道館が開館
 この年の東京オリンピックの柔道競技の会場。建物は法隆寺の夢殿をかたどった。観客の収容人数は1万5000人。今では、スポーツだけでなく、コンサートなどの会場にもなっている。

○4日(1984年) 蔵前国技館が閉館
 大相撲の殿堂として、35年間の歴史を刻んだが、老朽化により閉館した。「栃若時代」「柏鵬時代」を生んだ名勝負などで親しまれた。新しい国技館は、両国に建設された。

○9日(1975年) 第1回の軟式庭球世界選手権を開催
 軟式庭球は、日本生まれのスポーツ。軟式テニスから、現在はソフトテニスの名称で国内に競技人口が多い。国際化では1955年には第1回アジア選手権が開かれた。その後、世界選手権の第1回は、ハワイで開かれた。後に、アジア選手権は世界選手権に吸収される。
 明治期に、いわゆる硬式テニスが“輸入”されたが、消耗の激しいボールの輸入品が高価だった。そのため、ゴムボールを代用品にして、ソフトテニスが誕生。教員が愛好し、全国に普及した。

○10日(1964年) アジアで初のオリンピック・東京五輪開幕
 東京五輪の開会式はこの日、秋晴れの東京・国立競技場で行われた。アジアでのオリンピック開催は初めて。五輪に合わせて東海道新幹線が開通、聖火は、国産旅客機「YS11」で運ばれた。大会では、女子バレーボールの「東洋の魔女」が金メダル、体操、レスリング、重量挙げなどの競技が活躍した。柔道が五輪競技に採用されたのもこの東京五輪からだった。
 もともと「体育の日」は、この開会式の10日でスタートした。

○16日(1978年) 男子ゴルフで青木功が日本選手初の海外優勝
 英国ウェントワース・ゴルフ場で開かれたコルゲート・ワールド・マッチプレーで、青木が優勝した。世界の強豪16選手が出場していた。女子では、前年の6月12日、樋口久子が全米女子プロ・ゴルフ選手権で優勝、日本女子選手として初めての海外優勝を果たしていた。

○20日(1968年) 陸上・走り幅跳びで、フォスベリーが初めて背面跳び
 メキシコ五輪の男子走り幅跳びで、アメリカのD・フォスベリーが、当時としては独創的な「背面跳び」を見せ、2メートル24で優勝した。それまでの跳び方は「ベリーロール」といい、着地では選手自身が安全な姿勢をつくる。しかし、背面跳びでは、後ろ向きに首から着地する。これは、着地点のピットが飛躍的に改善された結果、実行できるようになったともいえる。
 今では、背面跳びが当然のように行われている。

○28日(1977年) 日本陸連が初のCMゼッケン採用
 かつて、五輪の舞台などで、選手にアマチュア規定が厳しく適用されていた。選手がCMに出演したり、報酬を受け取ることができなかった。大会名にスポンサーの名前をつける「冠大会」もなかった。そんなスポーツ界に、小さな風穴をあけたのは、この日に行われた第61回日本陸上選手権だった。選手のゼッケンにスポンサーの「アシックス」の表示がされた。縦2・5センチ、横15センチの小さな広告だったが、スポーツ界にとっては大きな変革となった。
 翌年の世界8カ国対抗陸上競技大会は「デサント陸上」の名称になり、日本陸連初の冠大会になった。

○31日(1907年) 外国野球チームを初めて招待し、試合を行う
 慶応の招待に応じたハワイ・セントルイス大学の野球チームが来日。三田のグラウンドで第1試合を行った。招待の費用を工面するため、見物人から入場料を徴収し、国内初の有料試合となった。慶応はこの日から5試合を行い、通算2勝3敗だったという。