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(33)「スポーツの歴史─12月編」

2012年12月01日

 アメリカの大リーグが初めて日本に来たのが1913年。来年2013年は100周年ということになる。多くの日本人選手が大リーグで活躍する時代など、当時は想像すらできなかっただろう。サッカーのルール統一も12月の出来事だった。ワールドカップの第1回は、それから67年後、1930年(昭和5年)のことになる。
(参考=「スポーツできごと一日一話」大修館発行)


○6日(1913年) アメリカ大リーグチームが初来日
 大正2年。ジャイアンツ、ホワイトソックス帯同の世界周遊チームがこの日、横浜に入港した。午後には三田の慶大球場で第1戦、翌日には第2戦を行い、ホワイトソックスが連勝した。また、7日には、慶大が大リーグ連合チームと対戦、3─16で敗れた、という記録が残っている。周遊チームは、日本、中国、豪州、エジプト、フランス、英国を回ったとある。
 日本のプロ野球はこのときから23年後、昭和11年に始まっている。

○8日(1863年) サッカーの最初の統一ルール決まる
 日本はまだ幕末の時代。この年の10月にロンドンでフットボール協会(FA)結成を決めた。交流試合ができるようにルールの統一作業を重ね、ようやくこの日、FAルールが決まった。争点は、ボールを持つか持たないか、が主な内容だった。
 サッカーは、ゴールキーパー以外はボールを手で持ってプレーできないが、この後、1871年(明治4年)1月26日に、ラグビー・フットボール・ユニオンが結成されることになる。
 サッカーのルールは、簡単明瞭が特長で、どんなゴールでも得点1点というのも分かりやすい。観戦していると、オフサイドが少し難しいかもしれない。

○13日(1953年) 学生剣道が復活
 第二次世界大戦の敗戦後、占領政策の一環で日本の剣道が禁止された。1950年には、「しない競技」として復活、52年に学校体育の教材に認められた。さらに、この日、全日本学生剣道連盟が創立され、同時に第1回全日本学生剣道選手権が開催された。

○20日(1952年) 戦後初のボウリング場が青山に開場
 青山のボウリング・センター開設が日本のボウリング競技のスタートいってもいいだろう。20レーンのピンセッティングはまだ手動式だった。自動式になったのは、1961年の後楽園ボウリング・センターが最初。1970年初頭に空前のボウリングブームが訪れる。しかし、早くも73年10月のオイルショックを機にブームは急速に沈静化した。

○25日(1971年) 大相撲立行司の木村庄之助ら集団で辞表
 大相撲の行司会は、この年の5月場所後に、待遇改善を日本相撲協会に申し入れた。協会は、事前に草案を行司会に提出すると約束。しかし、12月20日から3日間の理事会で、一方的に6項目の決定を行った。昇進は年功序列でなく信賞必罰による抜擢制、行司部屋維持費を援助、初任給を2万5千円から1万円アップ─など。
 草案を抜きにした一方的な改正に、行司会の会員31人中30人が25日、内容にいくつかの問題があるとして、日本相撲協会に辞表を提出した。協会は緊急会議を開き、翌日の26日に行司会側と話し合い、辞表撤回にこぎつけた。

○26日(1965年) シンザン、史上初の5冠馬に
 中山競馬場で開かれた第10回有馬記念で、松本善登騎手が騎乗したシンザンは、3コーナーあたりから外を回り、先行馬のミハルカスなどを抜いて優勝した。前年、さつき賞、ダービー、菊花賞を制して史上2頭目の3冠馬に。翌年に、天皇賞、そして、この有馬記念を制した。これを最後に引退した。2年余りの成績は19戦15勝、2着4回。
 なお、20年後、シンボリルドルフが7冠を達成している。