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(37)「スポーツの歴史─3月編」

2013年03月03日

 「球春」という言葉は、どうも出典がはっきりしないが、3月はまさに球春開幕である。高校野球も今はすっかり金属バットになった。木製バットより打球の距離が伸びた。かつて、甲子園球場の外野フェンスの手前にラッキーゾーンがあり、高校野球のホームランといえば、客席まで届かずラッキーゾーンに入る打球が多かった。今では、木製バットの「カーン!」という音ではなく、金属バットの「キーン!」という音を残して、打球がグングン伸びる。

○4日(1974年) 日本高野連が金属バットの使用許可
 高校野球は木製バットを使っていたが、金属バットは木製より長持ちして、値段も安いため、使用の許可が発表された。3月25日から実施され、米国イーストン社製の製品に限った。しかし、製品が十分に出回っていないとして、選抜大会は除かれた。

○6日(1946年) 日本最初のスポーツ新聞が創刊された
 東京・銀座に本社を構えた「日刊スポーツ」が、タブロイド版4ページで発刊した。定価は50銭。用紙は政府により統制されており、必要な紙の確保に苦労した。戦後、アマチュアスポーツは復興し始めており、記事には困らなかったという。

○17日(1871年) アメリカ・プロ野球、初のリーグ戦開始を表明
 日本では明治4年のこと。10球団がニューヨークに集まり、全米プロ野球協会を結成した。初のリーグ戦は、5回戦勝負総当り制。必ず5試合をすべてを行うわけではなく、どちらかのチームが3勝したら勝ち。シーズン中、最も多く勝ったチームを優勝とした。

○20日(1975年) 「ヨーロッパみんなのスポーツ憲章」誕生
 19カ国のスポーツ担当相が会議(ブラッセル)で、8条の主文で構成した憲章を決めた。第一条では「すべての人はスポーツをする権利を有する」とし、第2条で「スポーツは人間の発展に重要なファクターとして奨励され、公共の投資による適当な援助がなされるべきである」とした。3年後には、ユネスコが「体育・スポーツ国際憲章」を採択した。

○30日(1953)年 早大バレーボールチーム、アメリカ遠征
 早大チームの渡米(5月18日まで)は、6人制バレーボールを体験、国内に定着させることになった。日本のバレーボールは、1913(大正2)年に、北米YMCA体育主事が指導して始まったとされる。当時は16人制だった。1921年に12人制、1925年(大正14)年に9人制になった。