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関西エアロスポーツクラブ

2011年02月09日

眼下に瀬戸内海をながめるユートピア

 子どもの頃に、だれでも「大空を飛びたい」と思ったことがあるのではないでしょうか。そんな夢を持ち続けて大人になり、グライダーに夢を乗せて飛んでいる。今回の「グライダー談義」では、私も設立に関わり、現在副会長を務めている「関西エアロスポーツクラブ」を紹介したいと思います。野球やサッカーなどのスポーツクラブと同じといえば同じですが、グライダーという乗り物を使い、操縦には国の資格が必要である、という点では少し事情が違います。

 現在、会員は正会員が35名、団体会員が岡山大学航空部となっています。そして▽航空身体検査医が1名▽耐空検査員が1名▽整備士が3名▽教育証明が8名▽自家用操縦士が12名、という陣容です。活動の基地は、新邑久滑空場です。飛行場と言わず、滑空場です。場所は、岡山県瀬戸内市邑久町の吉井川の河川敷です。ここは、NPO法人の岡山スポーツ航空協会の借用地を使わせてもらっていますが、もともと背丈を越す雑草地だった場所を、会員で切り開き、グライダーが飛べるように整備した「汗と涙」のホームグラウンド、私たちのユートピアです。

 少し、瀬戸内市の説明をすると、2004年に牛窓町、邑久町、長船町が合併して誕生しました。牛窓は、瀬戸内海に面した地域で「日本のエーゲ海」といわれています。長船(おさふね)は、名刀として名高い「備前長船」のふるさとです。吉井川は岡山県の三大河川の一つに数えられています。滑空場は、瀬戸内海に注ぐ河口に近い左岸にあります。

吉井川の上空で、右に瀬戸内海を臨む
吉井川の上空で、右に瀬戸内海を臨む

土曜、日曜、祝日に活動

 日ごろの活動は、隔週の土曜、日曜、祝日に、この新邑久滑空場で飛んでいます。グライダーは、動力(エンジン)を持たないので、自力で離陸できません。大馬力のウインチでグライダーにつないだロープを巻き、機体を引っ張り上げて、ある程度の高度に上昇した時点でロープをはずる方法と、グライダーと軽飛行機をロープでつなぎ、引っ張ってもらう方法があります。この新邑久滑空場では、後者の方法で飛んでいます。

 高度600メートルほどでも、瀬戸内海が一望でき、天気がよければ小豆島、瀬戸大橋などがよく見えて、まさに「鳥人」です。もちろん、真面目に訓練に取り組んだ上でのことですが。

 クラブとしては、ほかに岐阜県高山の飛騨飛行場で山岳滑翔の合宿をします。兵庫県の但馬飛行場でも、訓練やイベントに参加しています。海外では、オーストラリア飛行(ナロマイン空港)との提携もあります。

所有する「空の仲間」たち

 グライダーを引っ張り上げる(曳航する)軽飛行機ですが、モーターグライダーという飛行機で、「モグラ」と称しています。空飛ぶモグラです。よく目にするセスナ機のように、プロペラが機体の先についています。もう一機は、曳航機ではありませんが、自力で離陸ができるタイプで操縦席の後ろにエンジンとプロペラがついていて、エンジンを止めると胴体に格納でき、グライダーとして飛行が可能です。エンジンのないグライダーは、モグラに対して「ピュア(グライダー)」と言ったりします。これは3機あります。2人乗りの複座の機体では、前席に練習生(あるいはゲスト)、後席に教官が乗ります。

 ほかに、機材として上記各機のトレーラー、コンテナ2台、バス、牽引車、トラックなどです。それと、滑走路から5キロほど離れた場所に25人ぐらいが宿泊できる施設「クラブハウス」があり、1泊500円の格安です。練習や訓練前夜の宴会ではグライダー談義が尽きず、至福ともいうべき時間が過ぎていきます。

大空のキップ、国家資格に挑戦

 さて、初心者の会員はまず、教官と一緒に乗る複座のグライダーで練習のフライトをします。ソロ(単独)で飛行できるようになるには、だいたい30回くらいのフライトが必要でしょう。自家用のライセンスを受けるには、国家試験である学科に合格し、ソロ飛行が30回必要です。合格するには、国の航空局の検査官のオーラル(口頭試問)を受け、合格してから実地に2回飛んで、技量がよければ合格ということになります。長い長い道のりのようですが、ゴルフだってすぐに「シングル」にはならないわけですし、グライダーは空を飛ぶ以上、命にかかわることですから地道に訓練するのみでしょう。確かに「センス」というものも、他のスポーツ同様に大切ですが。

 どんなスポーツでも、ある水準を超えたときの喜びはいいようのないものです。野球の投手なら、新しい変化球を投げられるようになったとき、水泳や陸上なら自己ベスト記録がでたとき、などがそうですね。グライダーでは、初めて「ソロ」で飛べたときは、文字通り「天にも昇る」気持ちです。

SF―28A TANDEM FALKE JA2177の導入

 ここで、関西エアロの歴史に少し触れてみましょう。グライダーのクラブは、機体の確保が重要課題です。草創期の苦労は並大抵ではありませんでした。

 1975年12月15日、21名が参加して、大阪梅田ニューミュンヘンで設立総会を持ちました。仮称「モーターグライダークラブ」は、執行部の精力的な活動と地元の理解と支援が功を奏して、翌年5月には吉井川に練習場ができましたが、この時点ではまだ「翼の無い」クラブだったのです。大利根に、「買い手の無い新古のモーターグライダーが1機ある!」、という情報が入り、直ぐに斉藤慶文君、山田正勝君、多田公彦君の3人が日本モーターグライダークラブへ現物の確認に向いました。エプロンの片隅に、手入れも行き届かないまま野外係留されている機体「SF-28A TANDEM FALKE JA2177」が待っていました。

 直ぐに試乗したところ、「飛ぶには飛ぶ。状態が良いの悪いのは言っていられない」という印象だったようです。クラブとして直ぐに購入を決め、輸入元の(株)協同木材貿易と交渉に入りました。価格は¥9,600,000。クラブの全資金は¥2,500,000ポッキリ。これを頭金に残額の¥7,100,000は毎月¥140,000の50回分割支払いという条件を出し、協同木材貿易も、最後は折れてくれたのです。

 1976年11月、JA2177は吉井川に到着し、クラブの正式名称も「関西エアロスポーツクラブ」と決まりました。翌年1月30日、滑走路が完成し、3月13日にはテストを兼ねてJA2177が初飛行し、2週間後の26日に河川工事事務所の正式許可が下りて、この日からJA2177の活躍が始まったのです。

 ちなみに、このJAの番号は、日本籍の航空機すべてに固有についていて、自動車のナンバープレートみたいなものです。

JA2554  G103TWIN ⅢSL の導入

 時は流れて。長年、ファルケ28A(JA2177)1機で訓練をしていましたが、将来が見えず新たな展開を模索していました。阪神大震災の半年前の1994年の秋に、名古屋大OBの森本氏から米国のミンデンで日本記録をとったTWIN ⅢのSLタイプが売りに出ている、との話を清水秀祐君がクラブに持ち込んできました。売値は11万ドル、現地渡し、トレーラー付き。幹事で検討し、クラブとして購入を前提に現物を視察することになり、当時、一人で見に行けて、機体の状況を判断できるということで私、冨山が担当になりました。

主翼の後ろにプロペラがついていて、自力で離陸ができる「TWIN ⅢSL」
主翼の後ろにプロペラがついていて、自力で離陸ができる「TWIN ⅢSL」

 1月末に、日大OBで、当時、ロスに住んでいて日商岩井でMD担当していた石川君に同行を頼みました。High Country Soaring の事務所でMr.Tom Stowersに会い、グライダーと対面。この時は、雲の関係ですぐにフライトはできず、機体を入念にチェック、エンジンも動かし、とりあえず購入を希望して帰国しました。契約後は、Tomがミンデンからロスまで陸送してくれて、そこから石川君が手配し、日産自動車の日本への帰りの船便に積み込みました。

 横浜での通関や邑久までの配送手配は、慶応OBで全日空の熊谷君(関西エアロ会員)の世話になりました。無事に邑久に到着したと思ったら、Nナンバーの移転登録作業でビックリ。アメリカでのNナンバーのはずが、実際はドイツから輸入し、FAA(航空局)へ登録せずに実験機として飛んでいたらしい。まあ、自動車でいえば車検が取れていない、取れない状態でしょうか。ここで実力を発揮したのが、在米20年以上の増谷さんで、FAAへ連日、電話して交渉。最終的にはドイツでの登録書をもとに直接日本に輸入した形で登録。やっと飛べる状態になり、ヤレヤレでした。

 購入金額11万ドルについては、会員から寄付を募ることにしましたが、1ドル110円の為替レートがどんどん円高になり平均90円強まで行き、総額1000万円弱で済みました。「円高バンザイ」で、ホッとした思い出が今では懐かしいですね。

JA21KA導入の経緯

 1999年春ごろ、航空法の改正があり、曳航がモーターグライダーでも可能になりました。増谷さんがSANBROという機体があると、カタログを持ってきてくれました。早速、中川会長以下、幹事で導入を決めました。当時はマルクが65円くらい。購入価格は約1,400万円になり、少々資金集めが厳しかったのです。そこで、法人である滑空協会名でモーターボート競走会の半額援助を得て、それを関西エアロに貸し付ける案をまとめました。結果的には、滑空協会の何人かの理事が反対し、この案は頓挫してしまったのです。

 当時は、これまで述べた通り、タンデムファルケ(SF28A)に加え、G103 TWINⅢ SLを購入し、クラブは会員も増加傾向にありました。この際、曳航機を導入して活動を一層発展させようと、関西エアロ単独で購入することにしたのです。長年働いてくれたタンデムファルケは会員の一人に売却しました。

 早速、資金集め(会員からの寄付集め)を始めましたが、JA2554の時と同様に円高の神風が吹き、マルクが下落。最終的に約950万円で購入できました。20万円の追加で夜間飛行の装置を付け、後に役立ちました。

機首にプロペラがついている曳航機「SF25C」
機首にプロペラがついている曳航機「SF25C」

 2001年3月10日大利根に到着。4月1日に耐空検査合格。中川会長と、私、冨山で大利根に行き、慣熟飛行の後、5月1日に視界不良の中をクラブの滑空場の邑久を目指し離陸。高度1000フィートで木更津、横浜をなんとか抜けたものの箱根が越えられません。下田へ方向転換し、天城山の南側を越えると、燃料が心配になり、富士川へ臨時着陸して燃料補給。フライトプランの変更を携帯電話で連絡していました。伊勢湾で、またまた視界が悪く、ほぼ計器飛行に近い状態で切り抜け、大阪湾のUSJや瀬戸大橋を見ながら飛行し、夕方に邑久に着陸しました。なんだか、映画のシーンのようではありませんか。この後、ピュアグライダー1機を購入し、今日のクラブ繁栄の基礎となったと思っています。

【関西エアロスポーツクラブのガイド】

複座機は、前に練習生やゲストが乗り、後席で教官が操縦する
複座機は、前に練習生やゲストが乗り、後席で教官が操縦する

複座(2人乗り)のグライダー「ブラニク」
複座(2人乗り)のグライダー「ブラニク」

【関西エアロスポーツクラブのガイド】