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過去のコラムから抜粋して3年間を振り返ってみました。(連載第100号)

2009年04月13日

2006年6月16日 W杯でのアウェイの意味

 W杯は開催国が経済負担する期間が定められています。チームの最初の試合の5日前から、そのチームの最終戦の2日後までで、それ以外滞在費は保証されません。負けたら、2日以内に帰国しなければならないのです。もちろん、自費でホテルを探して、滞在することは可能ですが、警備も、W杯参加チームとしての保護も失うのです。

7月14日 レッドカードの意味するところ

 サッカー競技規則はスポーツのなかでも簡単で、全部で17条からできている。しかし選手にとっても審判にとっても、ゲームを進めるうえで最も大切な条文は、第18条であると伝えられている。規則にもない第18条とは何か、それは『常識』ということである。この常識とは、人間として社会生活を営んで行くうえで常識であるとともに、プレーヤ-としての常識のことである。

7月24日 もうひとつの大決戦

 1967年10月7日、メキシコオリンピックのアジア最終予選は、私の日韓戦の「ベスト1」である。当時試合の様子はラジオによる実況中継であった。 ~小雨降りしきる神宮外苑国立競技場。芝生がほとんど見えない、ぬかるんだグラウンド。後半に入っても日韓の死闘は続く。前半2―0で折り返すも後半韓国の猛攻で同点とされ、待望の釜本のゴールで再度勝ち越すが、終盤にまたも同点にされた。そして3―3のままロスタイムに突入。引き分けかと思った瞬間、韓国の選手が打ったシュートがクロスバーをたたく、バーンという鈍い音。そして大きく跳ね返ったボールはタッチを割る。間をあけずタイムアップの笛。試合後もクロスバーには、くっきりとボールの痕が残った。~ このゲームを分けた日本は、予選を通過してメキシコへと羽ばたいた。そしてメキシコオリンピック銅メダル獲得へつながる。この引き分けたゲームがあったからであった。

10月2日 決定力を上げる為には‥

 それでは、日本人のDNAの中に、大和魂、とりわけカミカゼを呼び込む必要があるのではないか、その答えは、今週買った雑誌の中にあった。私ではなくてオシムが答えてくれた。(オシムの記事、文芸春秋ナンバー10月5日号より)
 その答えは、「日本の選手に野心を奮い立たせること」。「まず監督自身が、やる気を示す事、それを伝える事」と言っている。確かに最近は、野心家に出会っていない。Jリーグの特に弱いチームには野心家がいるだろうか、もちろん監督も含めてだ。

11月2日 つれづれのままに

 ノルウェーのとあるクラブチームのユニホーム、12番の背番号は欠番になっている。その理由は、12番はサポーターの背番号で、多くの12番を着た人々でスタジアムは埋め尽くされる。12番目の選手は、サポーターである。なんと粋な計らいであるか。

11月16日 ふたりの中村(俊輔と憲剛)

 オシムは二人の同時起用を必ずしも肯定していない。その理由は「オシムの言葉」本に書かれている。私は思う、かつて西ドイツの代表チームにふたりの天才 MFが存在した。右足のネッツァーと左足のオベラートである。当時西ドイツの監督は、最後まで彼ら二人の同時起用で苦しんだ。そして二人は同時には機能しなかった。二人を同時に起用した時、マイナス面がはっきりと現れた。当時のマスコミは二人の不仲説を展開した。結果国民の期待を裏切ることなった。1970年代の話である。
 全く同じ条件が想定される。二人の中村のたどる近い将来の姿。これからの一年でオシムが答えてくれることになる。

12月18日 クラブ世界一は、ブラジルのインテルが優勝

 以前にも言ったことがあるが、サッカーは弱いと言われるチームが、強いと言われるチームに勝つ事ができるボールゲームである。そして、インテルの選手がほとんど無名で、バルセロナの比ではないこと。また、インテルの監督には、バルセロナの戦術が充分過ぎるぐらい解っていた。(その反面ライカールト監督は、インテルの戦術を読んでいたのだろうか!)・・・それは、理論では簡単なこと、デコとロナウジーニョを止めればよいからだ。後は、それを実践するDFがいるかどうかだ。そして、数少ないチャンスを物にすれば良いことだ。そんなことは、このチームの無名選手軍団には、たわいない事だった。かれらが、これまでにやってきた道だったからだ...。

2007年3月23日 ペルー戦を控えてオシムジャパンに思うこと

 最初は、走るサッカーだった。これは日本人の体格と俊敏性からして、基本であると理解している。そして次に、走るサッカーを続けられる体力が必要となった。走るサッカーは強化された。次は、ただ走るのではなくて、考えて走れということになった。
 ここまでは、高校生でもやっているトレーニングだ。それをオシムは、あたかも重大ニュースのごとく日本代表に説いた。私たちは錯覚をして新鮮に記憶した。これまでのサッカーには、走った選手には、パスを供給するパッサーが絶対に必要だった。中村や中田を欠かすことができなかった。
 しかしオシムはまた説いた。第三の動きをする選手の必要性を説いた。まずは、的確に考えて走る、次にそこに生まれたスペースにボールを出しても良いし、新しい第三の選手が動き出しても良い。新しいスペースを絶えず作りながら、ボールを供給していく、そして、最後のパスがゴールとなる。

7月16日 アジアカップ1stステージに思う

 日本人は従来農耕民族である。毎朝東の海に陽が昇り、夕方には西の海に陽は沈む。春に花が咲き、夏がくる、そして実りの秋から冬へと自然と季節は巡る。遊牧民族や狩猟民族のように、時と関係しない生活はできない。悠々と過ごす時間、ダラダラとやり過ごす時間、そんな時間の過ごし方は苦手である。ダラダラとした時間は、ピリッとした時間よりもしんどい体験かもしれない。
 オフト監督時代、日本チームはドーハでロスタイムの悲劇を経験した。そして、ロスタイムの危険性を初めて知った。ジーコ監督のW杯ドイツ大会の初戦のオーストラリア戦、最後の8分間を日本チームは優位のまま、ゲームを終わらせることができなかった。そして、今回オシムもまた、この5分間を優位のまま終わらせることができなかったのだ。

7月22日 アジアカップ準々決勝

 相手チームが一旦引いて守備を重点にした場合、そう容易く点は取れない。オーストラリアは、アジアのチームと違っていた。体格が良く、荒々しいヨーロッパのチームのようだった。そのチームが引いて守備を固めた。日本チームは、その肉体の壁をこじ開けようと何度もパス交換をしてチャンスをうかがった。しかし、こう着状態が続いた。
 オーストラリアに先取点を取られた時、バテだしてきたオーストラリアの選手を見て、充分に逆転できると思っていた。羽生や水野を投入したら、スピードで上回れると思った。しかし、オシムは、簡単に人を変えなかった。そこが今までの戦いと違っていた。結果は、延長の末引き分け。あとはPK戦だった。オシムは、今までどおりPKを見ずに控え室に戻っていった。

11月19日

 先週末のサッカーは独り言ではすまされない気分だった。先週末に届いたオシム監督の倒れるニュース。深夜のサッカー番組を見て、自宅で倒れた彼の巨体を想像する。言葉の通じない異国での出来事に、きっと夫人や息子も慌てたことだろう。心細いことだろう。もし、自分がセルビアの地にいて、深夜同じ場面に遭遇したら、取り留めない行動をしていたことだろう
 サッカーは人生そのものだという。有名なオシム監督の言葉だ。それほど凝縮して、90分のドラマが展開される。主人公は自分たちだ。オシム監督の容態が気にかかる。今週の展開もまた、彼の回復なくして語れない。どんな結果が出ようとも、サッカーは人生そのものだ。彼の人生もサッカーそのものだ。

12月21日 クラブ世界一も終わり~そこから見えてくる日本の将来とは

 圧倒的に支持をされたオシムサッカーは、90分間走るサッカーだった。私はこれまで常に言ってきた。走ることは、サッカーの基本だ。高校生の時から監督に耳にタコが出来るほど聞かされてきた。そして、サッカーはボールを持っていない人の動きで決まる。ボールを持っていない自分は、ゲーム中必死で走った。そして、オシムは同時に考えて走るサッカーを解いた。これもまた、高校生の時から聞いたセリフだった。では、オシムの理論は、高校生レベルなのか・・・・。それはそうではない。彼は日本人に合ったサッカーを作り上げるために、就任一年目を基本である「考えて走るサッカー」を推進した。
 強いチームと戦うときに、勝てる望みは、走り負けしないことしかない。接触プレーを出来る限り避けて、早くボールを相手ゴール前まで運ぶことが、脆弱な日本チームが生き残れる唯一の方法なのだ。その選択肢を数多く持つことが、最初のステップだった。そして、今回からは、新しいステップアップが待たされていた。・・・と思っていたときに彼は倒れた。

2008年3月11日 Jリーグ開幕

 先日のゼロックススーパーサッカー鹿島と広島戦を見た。試合はPK戦までもつれこんだ。ゲームの良し悪しを批評する記事よりも審判のジャッジが大きく取り上げられた。

 言い分は両者にある。片方の話しか聞こえてこない。それですべてを判断できない。ゲームのジャッジは主審が一番近いところで見ている。その結果の判断は尊重すべきだ。その上である。最初の笛(ファウル)がゲームの基準となる。最初の警告が出された時から、警告の基準ができる。そのゲームは、その見えない基準に支配される。だから私がジャッジする時、最初の笛を大切にする。試合前に何度もイメージトレーニングをする。そしてゲームを支配する笛(基準)を決める。平たく言えば、簡単に警告を出さないようにしている。ゲーム中に熱くなっても、主審の熱を冷ましてくれる人はいないからだ。ゲームをコントロールすることは、容易いことではない。しかし、それを含めて主審を任されていると言うことだ。

2008年7月30日 U23代表対アルゼンチン戦

 私は代表チームを修学旅行生に喩えて思う。(これは私だけが思っているが真理である。)代表チームに帯同するNAの会長(各国サッカー協会の会長さん)は修学旅行に同行している校長先生である。また、同行するスポンサーはPTAの会長である。監督は、強面の学年主任の先生である。キャプテンは、学級委員長。それではリケルメはというと、先輩OBということになる。23歳以下のチームは修学旅行生で先輩や学年主任が統率しているのだ。

2008年10月17日 対ウズベキスタン戦に思うこと

 情けない試合だった。失望よりも心配に思ってきた。この試合にはがっかりした。選手も監督もダメだった。これまで2敗してきたウズベキスタン戦は、ハードな戦いになることは判っていた。日本のアウェイで引き分けか勝ちが必要だった。もともとタフな試合になることは容易く想像できた。だったら稲本を先発させるべきだ。中村俊輔も疲れていた。疲労感が画面の奥に見えていた。
 後半はシュートも打てなかったし、足元のパスばかり要求していた。彼の切れ味は完全に失っていた。だったら後半からはもうひとりの中村、そう憲剛をだすべきだった。指揮官は、先発させる勇気はあっても途中から変える勇気はない。(日本人の株取引に喩えるとこうなる「株を買えても、売る勇気がない」という事だ。) そして、ズルズルと時間が経っていく。その結果、タイミングをはずすわけだ。

2008年12月9日 今年のJリーグを分析する

 東京ヴェルデイのラモスマネージャーや柱谷監督の狂気の顔がテレビ画面に映っていた。ピッチで動いている選手よりも彼らのアクションの方がハデで、「選手はやりづらい」と直感する。戦い方には二通りあって、「静かで体からにじみ出る闘志」と「顔を引き攣らせた体全部で表現する闘志」である。彼らは後者である。しかし、前者であっても良いのではないだろうか、監督から選手までが無言でも体からにじみでる闘志に満ちた勇者を育てることもこの時代の選択肢のひとつではなかろうか。
 哲学的になったが、東京Vと川崎Fの最終戦を見てそう感じた。そして終了前に川崎の中村のとどめのミドルシュートがゴールに突き刺さった時、冷静な中村を見て確信した次第だ。

2009年2月12日 大一番のはずだった

 このゲームを見て感じた事は、我が代表は2位通過でW杯に行けたとしても、本戦の一次リーグで勝つことが出来ない。またしてもドイツ大会と同様に悲しい敗退を強いられてしまう。ドイツ大会だけではない。フランス大会でもそうだったように。(日韓大会は夢の結果であった。私もその夢の中で幻覚の1カ月を共に過ごす事となった)。このチームの使命はW杯で結果を残すことにある。昨晩のゲームでそれは程遠いと言うことを改めて露呈してしまった。

2009年3月3日。第三のカード、オレンジカードに思う。(連載第98回目)

 本人にイエローカードを掲示して警告を与える場合は、7つのケースがある。

ではオレンジカードの場合は、具体的にどのような行為が対象になるのだろうか、

 サッカーW杯は世界中が熱狂する地上最大のイベントである。日本代表は来る2010年に出場できると信じている。そしてその次にある栄光勝ち取ってくれるだろう。それまで「私の独り言」は止むことはない。