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東アジア選手権が終わって(連載第119号)

2010年02月15日

 初戦の中国に0-0のドロー。二戦目の香港戦は辛くも3-0で初勝利。しかし、この二試合とも決して喜んでいられる試合内容ではなかった。理由は各紙で報道されているとおり、W杯ベスト4を目指しているチームとは思えない恥ずかしい内容だった。

 そして昨日の韓国戦。韓国も同様にW杯の連続出場を伸ばし、日韓大会でベスト4の記録を残しているチームとしては、不甲斐ない展開で中国にも敗れて、この最終戦日本戦が大切なゲームだった。

 ようするに、負けられない大事な一戦だった。

 その前に、女子チームなでしこジャパンが三戦全勝で連覇を達成した。女子のゲームを見ることができないのが残念だが、男子チームが手本とすべきと以前から言っている。この場を借りてなでしこジャパンに敬意を表したい。

【W杯の思い出 1994年アメリカ大会のプレミアムチケットとキャラクターグッズ、ピンバッヂ】
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 日韓戦は特別な雰囲気がする。それもいくたびのドラマが生まれた国立競技場が舞台だ。試合は日本の完敗に近い結果だった。しかし、ちょっとの差で韓国が同様の道をたどったかもしれなかった。それほど韓国も強いチームだとは感じなかった。早い時間に日本はPKを得た。私は、そのゲームで一度PKの笛が吹かれたとき、その瞬間からファウルの基準が決定すると言ってきた。そして、その目に見えない基準は次に自分たちに降ってかかる。

 PKを取ったとき、次にPKを取られないように細心の注意をはらうべきだ。チームは全員が自覚すべきなのだ。想定どおり日本もPKをとられてしまう。自覚のないままに。

 そして、闘莉王の退場と続く。この状況はW杯でも陥るパターンだ。チームとしての約束事がいかに徹底されているのか、チームのメンタルの強弱さも判定できる。ようするに、この経験で日本チームの尺度が測れたわけだ。残念なことにW杯の規格外のチームとなっていた。

 以下はテレビ観戦中に書いた簡単なメモから・・・・・

 では、これからどうすれば良いのだろうか、次回は考えてみたい。

 最後に、バンクーバーオリンピックが開幕した。昼間に女子モーグルがあった。上村選手は4位入賞だった。誰もが残念だと思ったことか・・・。私は、なぜ4位に終わったのか原因をテレビ画面から探していた。私はフィニッシュラインに注目した。なぜならば、フィニッシュに飛び込んでくる選手がスキーのエッジを利かして止まる瞬間の雪を吹き飛ばす。その力の度合いを見ていた。そこでは、日本選手の誰よりもアメリカやカナダの選手の方が雪を吹き飛ばすエッジの力、要するに飛び込んでくる力が歴然と違っていた。この迫力の差が3位と4位の違いだろうと思った。

 でも良く考えたら、それでも上村選手はベスト4なのだ。日本サッカーがW杯で目指すベスト4なのだ。それはすごいことだった。

◇       ◇       ◇

W杯の思い出

 1994年アメリカ大会は仕事とサッカーが共有できた大会だった。2002年の招致活動も活発で京都府も立候補している。残念ながらこのプレミアムチケットは私のではなくある方の譲り物だ。額面の1000ドル。それにこれには、「World Cup Japan 2002」の印字もあって、まだこの時点では韓国との共催の影もない。この広告宣伝効果にいくらかかったのか知りたい。

 ゲームはダラス。フットボールで有名なコットンボウルが会場だった。試合は準々決勝でブラジル対オランダのゲーム、確か3-2でブラジルが勝ったと記憶している。このゲーム、ブラジルには、ロマーリオ、ベベットなどがいたしオランダにはベルカンプがいた。その勢いで決勝はブラジル対イタリアのW杯屈指の好ゲームとなった。試合は0-0のドロー。PK戦の末ブラジルが優勝した大会だった。このPK戦でかのバッジオがPKをはずしている。強烈な印象だった。

 このアメリカ大会は、日本代表が一番W杯本戦に近づいた大会でもあった。誰もが知っているドーハの悲劇だ。日本代表はあと一歩足らず本戦へは行くことができなかった。当時本戦に出場していない国にW杯の開催は無理であるという風潮も出ていた。よって4年後のフランス大会には絶対に自力出場しなければならなくなった。

【ドーハで販売された記念Tシャツも今はしわくちゃ】
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