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2002年日韓W杯の思い出(1)(連載第121号)

2010年03月05日

【上段は、日本組織委員会の10会場紹介リーフレット、下段は韓国のもの】

【上段は、日本組織委員会の10会場紹介リーフレット、下段は韓国のもの】
【上段は、日本組織委員会の10会場紹介リーフレット、下段は韓国のもの】

 日本代表は、先日のバーレーン戦で2-0の勝利をおさめ、面目を保ったが、W杯ではこんな容易いゲームはないと思わなければならない。バーレーン戦を見れば見るほど選手の欠点が見えてくる。前回も指摘したように個人の欠点は個人が補うことが第一である。次の召集の時に成果が見える状態を作り出すことだ。その上でチームの戦術が成り立つ。個々のレベルアップがベスト16への近道なのだ。

 今回から2002年日韓大会について連載で書いてみたい。まずは、いくつかの数字を挙げてみた。これは大会後発行された公式報告書からの引用である。

a)観客動員数

日本 32試合 1,438,637人(1試合平均 44,957-人)
韓国 32試合 1,266,560人(1試合平均  39,580-人)
62試合 2,705,197人

b)世界テレビ視聴者数

延べ 288億人

c)日本組織委員会での従事者数

構成人員 29,845人(会長以下すべての職員)
大会ボランティア 14,655人(延べ全会場)平均年齢35歳
語学ボランティア 13,784人(延べ全会場)

 これらの数字からして史上最大のイベントであることが証明される。それも全く経験したことのない大会であって、その上日韓共催という難題が積み重なった。大会は梅雨の蒸し暑い東アジアで開催された。そして誰の目から見ても大成功に終わったのだ。大会成功のカギはなんだったのだろうか、私はその理由が3つあると思っている。

 第一に、日本の習慣、日本人の性格にあると思う。日本人は計画的で礼儀正しい、その上に勤勉だ。そして日本の治安は世界随一でもある。初めての大会で想定外のことが連続して起こっても、最後には皆が協働で団結できる。この日本人が長い歴史の中から培った協調の精神が日韓共催を成功させた賜物であると思っている。

 第二に、天候が良かったことだ。私が務めた輸送課は選手、レフェリー、VIP、メディアの輸送を担当していた。特に選手とレフェリーの輸送は大会運営上、命綱だった。どんなことがあっても試合会場に連れて行かなければならない。選手とレフェリーがいなかったらゲームは始まらない。私はサッカー経験者だったから人一倍プレッシャーを抱えていた。大会開催の6月は梅雨の季節で過去のデータから豪雨や強風で交通機関が乱れることがあると想定していた。よって実際にバックアップの空港、機材の確保、宿泊の想定が大切だった。

 そう考えると国内10会場のバックアップ空港は、日本列島にあるすべての空港のスタンバイを意味する。もし天候が狂ったら膨大な経費と仕事が重なった。しかし、雨は一滴も降らなかった。(極端な表現かもしれない。実際は新潟でわずか降ったがダイヤには全く影響なかった)。各空港、鉄道駅、バスステーションとすべての交通機関が正常に、いやそれ以上に働いた。これは天候と日本人の勤勉とホスピタリティの三位一体の成果だった。

 私が実際に担当したイングランドチームの移動で徳島空港での出発の時のことだ。チームがキャンプ地から到着して20分で選手と荷物の搭乗が済んだ。機長は私に予定出発時間を30分繰り上げて離陸しても良いかと尋ねた。私はイングランドチームのマネージャーに許可を求めた。もちろんOKだった。その後、到着空港でも同様の手続きが行われた。到着空港も同様にクリアして予定よりも40分近く時間を節約できたことがあった。言うまでもなく到着空港では早めのバスの手配が自動的になされていた。こんな例は頻繁にあった。日本人のオーガナイズは世界一だと自負している。

 そして第三には、日本代表の快進撃があげられる。もちろん韓国においても韓国代表のベスト4という快進撃だ。毎日毎日、日本代表は強くなった。日本人は目の前でその成長を実感することができた。日本人は日本代表に夢を託した。そして、夢が現実に変わった。そしてこの空気が知らず知らずに大会成功を後押ししていた。

 初めてのチームが到着したのが5月13日で、その日から夢のような毎日が始まった。毎日が戦いだった。戦いの相手は想定外の出来事と時間との戦いだった。最後のチーム、ブラジルが7月1日に成田から帰国した。短いようで長い32日間が終わった。私は飛び立ったブラジル機を見上げてバンザイを三唱していた。これですべて終わったと思った。それからしばらく何も手が付かない不思議な経験をした。テレビで大会のビデオテープを見ることが日課だった。特別に何もやる気にならなかった。そんな期間が3ヶ月も続いた。

 今でもあの時のことを思い出す。私は新しい職場に復帰した。W杯が終わった東京にはいたくなかった。そして今も静かに大会の余韻とともにサッカーの独り言を書いている。生涯においてW杯を何度も経験することができた。そして諦めていた日韓大会でチーム輸送の大役に従事することができた。多くの夢のような選手、かつてのスーパースターとも仕事ができた。

 W杯南ア大会を目前に控えてサッカーのすばらしさを伝えていこうと思う限りだ。

【連日報道される日本代表の活躍】<br />※写真はサンスポ(産経新聞社)と河北新報での報道事例

【連日報道される日本代表の活躍】<br />※写真はサンスポ(産経新聞社)と河北新報での報道事例
【連日報道される日本代表の活躍】
※写真はサンスポ(産経新聞社)と河北新報での報道事例