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2002年日韓W杯の思い出(2)(連載第122号)

2010年03月22日

【ブラジルチームの帰国に際して】※デイリースポーツ(デイリースポーツ/神戸新聞社)での報道事例
【ブラジルチームの帰国に際して】
※デイリースポーツ(デイリースポーツ/神戸新聞社)での報道事例

 2002年日韓大会の一年前に遡る。私は東京の有楽町にある日本組織委員会(通称JAWOC)へ通っていた。意気込みとは裏腹にこの時点での仕事はほとんどなかった。

 毎日、誰もが経験したことのない史上最大のスポーツ大会を夢見ながら通勤する。それは、私にとって夢のような一年半だった気がする。

 私はこの時期にやれることを探した。そして、大会前に国内の10会場を見て回ることにした。

 ちょうどコンフェデ杯が開催されようとしていた。

 日本代表は、順調に勝ち進んで決勝まで行った。準決勝で宿敵オーストラリアを豪雨の中破って、フランスとの決勝で敗退したものの、価値ある準優勝となった。

 選手にとっては自国開催のメリットを充分に知ることとなった。

 その後、年内かかって10会場を見て回った。

 コンフェデ杯以後も私の全国行脚は続いた。大分での対ユーゴ戦、ストイコビッチ選手の引退試合だった。試合翌日、市内のホテルで偶然にも彼と出会った。ロビーで家族と一緒だった、私は挨拶をかわしたことを覚えている。

 その後順調に大会までの業務を消化していった。そんな時に大会が大きく揺れる事件が起こった。9月11日のニュースだった。テレビ画面ではニューヨークの貿易センタービルが崩壊していた。アメリカはテロとの戦いを宣言した。次第にW杯は大丈夫かとなっていった。これまでの警備はフーリガンが対象だった。しかしこれからは見えない敵・テロだった。

【2001年日本で開催されたコンフェデ杯】※朝日新聞での報道事例
【2001年日本で開催されたコンフェデ杯】
※朝日新聞での報道事例

 韓国では軍隊が警備しているが日本は違う。あくまで警察が主体だ。これからの半年間警備を重視する方針へと転換していく。選手役員が到着する国際空港が最初のターゲットになる。世界ではフェーズEの最高の警備体制が敷かれている。私たちの仕事も警備重点となっていった。(日韓大会が成功した背景には、各空港におけるチーム安全第一でスムーズな移動体制にあった。空港会社、税関、検疫、警察と最大限の協力体制が敷かれた。)

 次に各国のチームについて思い起こそう。原則1チームは45名から50名で構成される。その内登録選手は23名でその他監督、コーチ、ドクター、スタッフなどだ。国によっては80名もそれ以上も帯同してくるところもあった。よって、携帯する荷物も400個近くなる。自国からシェフも帯同してくる。ホテルの調理場が彼らに提供される。より自国に近い状況を作り出すことが求められる。

 そしてチームにとって一番大切なことかある。それはキャンプ地を選定することだ。キャンプ地は二つあって、準備キャンプ地とベースキャンプ地がある。今度の南ア大会の例で話そう。日本チームはベースキャンプ地を南海岸のジョージに決定した。その地から毎回試合会場へ移動する。試合が終わればキャンプ地に帰る。そして、南アに入国する前にスイスで事前の準備キャンプを張る。日本代表は国内で調整した後、一旦スイスへ飛ぶ。時差や高地でのトレーニングの他に、マスメディアなどから距離を置く、チームとして最終的な段階を整える。そして自信をもって南アへ移動する。ベースキャンプ地のジョージに落ち着く。そこで最後の仕上げを行う。もちろん親善試合も組む。その後最初のゲーム、カメルーン戦に望むわけだ。

 これが準備キャンプとベースキャンプである。どのチームもこのキャンプ地の重要性を問う。キャンプ地選定の成功が大会の成功の可否に繋がっている。どの国も条件の良いキャンプ地を求めている。日韓大会のとき80箇所ほどあったキャンプ地が最終的に14自治体となった。キャンプ地自治体と外国チームの難しい折衝が続いた。日本代表は静岡の掛川近くでキャンプを張った。私たちは日本代表のために最優先の輸送体制づくりに取り組んだ。特にJRの各会社の担当の方々には無理ばかり言った。心から感謝の気持ちを伝えたい。

 日本代表はベスト8をかけて仙台へ移動した。当日小牧の名古屋空港にJALの特別機が待機していた。トルシェ監督は、徹底したマスコミ対策を希望していた。私は、あわてて機内の新聞各紙を撤収した記憶がある。移動の機内は静かだった。名古屋空港にも仙台空港にも何千人のサポーターが手を振っていた。選手たちは日本人としての誇りを感じたに違いない。

 大会が進んでいくと負けたチームの帰国の時がやってくる。チームはその最終戦から2日以内に帰国しなければならない。チームも無事に帰国させることも私たちの仕事だった。負けたチームの帰国にもドラマはある。負け帰りの選手の背中が小さく見えてしまう。悲しみと疲労感が漂う。辛い場面だった。

【スタンバイするJAL特別機】
【スタンバイするJAL特別機】

 そして大会の最終チーム、ブラジルチームの帰国となった。その日は午前にドイツチームが帰国した。みんな一様に疲れた表情だった。ドイツチームが無事出発してわずかな休息の後ブラジルチームが空港に到着した。彼らは疲れるどころか日本での最後の時間を楽しんでいた。すべてのチームの中で唯一、どの国へ行っても彼らのペースは彼らが作っていた。要するに、ブラジルだけがオレ流を通していた。サンバのリズムと快活な笑い声が途絶えることはない。これが彼らの強さなのだ。どんな境遇や場面でもへこたれないタフさがW杯の優勝国のメンタリティーなのだ。(冒頭のデイリースポーツ紙参照) あとわずかに迫った南ア大会でもこのスタイルは変わらないと思う。日本代表もメンタリティーを持って望んでほしい。それは大和魂というメンタリティーだ。日本人しか持っていない、忘れてはならない魂なのだ。