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代表監督の出来る事とは・・・W杯直前特集-前編-(連載第124号)

2010年04月23日

 今回からW杯直前特集と銘打って代表監督について考えてみた。代表監督になることは非常に名誉で価値のある仕事であると思う。多くのサッカー関係者が夢見る最高の位であって、時として命を賭けるに値する仕事でもある。代表を勝利へ導いたときの賞賛の嵐と敗退したときの叱責の嵐は天と地の開きがある。多くの国民に勇気と希望を与える職業としては史上最高の地位であると言える。

 その代表監督が出来ることは大きく言って3つに分かれる。  第一は代表選手の選出である。まもなくW杯の23人の代表候補が発表になる。この人事権が最大の権限であり、監督の専任事項だ。  第二に代表チームの戦術を決める。戦術の最大テーマは、フォーメーションの確定である。これは代表選手の選出とも絡んで試合前に出来る唯一の監督としてのアピールである。戦う姿を見せるわけだ。  そして第三は代表チームの準備事項ついての決定である。練習試合やミーティング、時間の管理やマスコミへの注文、そしてキャンプ地の選定やトレーナー、食事の注文まで。大会までの準備段階での決定である。その上W杯では、試合会場の練習時間やホテル、会場までの輸送計画、ブレスリリースなども含まれてくる。

 これら3つの要素は、どれをとっても重要な要素であって、ひとつでも失敗した時点でチームは敗退へと追い込まれる。

 それでは第一の選手の選出から考えてみよう。代表選手の選出は一大セレモニーである。すべての国民が興味の眼(まなこ)で注目している(そんな国が世界には多数存在する、日本もそうあってほしい)。ホームタウンのヒーローが選出されるかどうか、ひいきの選手が選出されるかどうか、もっと言えば、自分が描く代表の理想像が整っているかを検証するのである。

 この時、国民の大半が自分も代表監督になっているのである。国民と実際の監督との開きは、直前まで身近に選手を観察しているか否かである。監督は直前まで選手を見て体調や能力、チーム戦術での機能性を判断する。つまりチームにとっての適応性である。それに反して国民の場合は、チームの適応性よりもスター性や実績を重視したものが主体となっている。そして、実際の発表では監督の選出と国民自らの選出とで開きが現れてくる。そして国民は愕然として、監督を批判するわけだ。

 この話は日本代表を指しているのではない。しかし、決して現実ばなれしているとも言えない。そしてだれもが納得いく選手選出は期待できない。だから思い切って大胆な選手起用が望まれる。特に解りやすい説明を求められる。簡単に言えば、高さを求める選手としてFWに平山を抜擢するなどである。実際オーストラリアのケネディ選手がそうである。そして彼はしばしば期待に応える(現在名古屋グランパスに所属している)。代表選出には、ベテランと新人、左利きと右利き、繊細さとタフさ、足の速さなど明確に説明できる選手の起用方法がある。

 そして、必ず起用される選手がいる。それは複数のポジションを無難なくこなせる選手だ。今で言えば、今野や阿部、駒野などが該当する。そしてまた、短時間に結果をだせる選手もまた候補に入ってくる。たとえば、佐藤寿人や石川がこのタイプといえる。そして、チームになくてはならない選手。俊輔や遠藤、長谷部、岡崎、楢崎が挙げられる。このように考えていくと23人の候補の大半が自然に埋まっていく。

 真新しい選手の発掘は期待できない。せいぜい1人か2人程度となってくる。その彼らがラッキーボーイとなることは微妙なことなのだ。ある意味日本代表選手は日本社会の縮図なのかもしれない。だから、日本社会におけるしがらみを突破する選手起用を外国人監督に委ねるわけだ。代表監督がオシムであったならば、違った代表が並んでいることだろう。それが唯一ベスト16への抜け道だったろう。そんな気がしてならない。

 今私たちは、社会の閉塞感の中で納得のいく斬新さを求めている。見たことのない若い力を持った潜在的な選手の発掘を求めている。明確なスタイルとは解りやすいコンセプトでありテレビ画面から直接伝わるプレーなのだ。誰が監督であっても、明確な戦い方は国民から支持される。終わってみたら中途半端で悔いの残る戦い方や選手起用では国民はがっかりするし納得しない。

 ゲームをピッチサイドで見ていると思ったより早く進行する。実際にプレーしている選手にはゲームの状況判断は的確にできない。悪い流れも気づいていないことが多々ある。それを見抜く監督には一瞬のロスも許されない。優柔不断なタイプでは勤まらない。むしろ悲観的な考え方のほうが先手を打てる。明確な行動と先手を打つことが展開の速いゲームの対処法なのである。

 そのために出来るだけ多くのフォルダを持っていく必要がある。そして早めにフォルダを開いて使用してみることだ。使わないで終わることだけは避けてほしい。多くのフォルダとは、さまざまな対処法が詰まっている。監督は1年前からこのフォルダを築いていくのである。果たして岡田監督にはいくつのフォルダを持参するのだろうか、私たち国民にはそこまで知らされていない。