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もうひとつのW杯(連載第126号)

2010年05月25日

 世界の国では、自国のW杯の出場に待ちきれないで歓喜の声を上げている。しかしこの日本では落胆の声が上がった。「敗軍の将、兵を語らず」というがこの将は自分の進退を語ってしまった。また兵は、自らのマイルストーンを見失う発言をしてしまった。そして、失意の中でスイスの準備キャンプ地へ向かう。きっとスイスで彼らは傷を癒し、新しい目標に向かって進んでいくのだろう。

 しかし、2つのフレンドマッチでまた見失うことになるのだろうか、そして、南アのジョージで決戦のときを待つ。ベースキャンプ地のジョージは、南アには珍しい治安の良い保養地だ。東京ドームの150倍の広さをもつリゾートホテルで旅の疲れを癒す。周りが緑であふれ、ジャグジーつきの温水プールとジムとマッサージで筋肉をほぐす。一泊6万円の部屋だそうだ。そして決戦の数日前にブルームフォンテーンに入る。その地のスタジアムの異様感に戸惑いながら、再び我を忘れた子羊たちがアフリカの黒豹たちに飲み込まれる。嫌な光景である。日本人の誇りや大和魂を捨ててくるというのか。

 すべてが昨日の日韓戦だ。中村も遠藤も阿部も今野も大久保も何も出来なかった。いや、何もしなかった。本田も気持ちばかりが焦ってサッカーをさせてもらえなかった。韓国チームはW杯のアジアの雄として、すばらしいチームだった。昨日は彼らの壮行会試合と変わった。朴チサン選手のすばらしいプレーが唯一の収穫だった。2002年のときFWだった車ドゥリ選手は右のサイドバックだった。

 では、私が熱望する長谷部のサイドバック転用は可能なのだ。

 私はかつての日韓戦を思い出す。1967年メキシコオリンピックアジア最終予選の日韓戦。3-3のドローで終わった結果、次戦のベトナム戦を1-0で勝った全日本チームはメキシコへ羽ばたいた。釜本や杉山の時代であった。そして初めてのスタジアムの観戦は1972年国立での第一回日韓定期戦だ。いずれも日本チームには魂があった。私にとって、もうひとつのW杯とは日韓戦を指している。わたしの大切なゲームをぶち壊してしまった罪は大きい。

 W杯の本戦は負けてもしかたない。しかし、隣国との大切なゲームでの敗戦は恥である。世界にはライバル国がいくつもある。ブラジルとアルゼンチン、オランダとベルギー、スペインとポルトガル、フランスとドイツ、ロシアとウクライナなど数え上げたらきりがない。彼らは自国の誇りと民族の魂を掲げてゲームを戦う。

 きっと韓国は、もはや日本はライバルとして見てくれないかもしれない。ゲーム後、朴チサン選手が日本は10年前より弱くなったと語っている。あぁなんと情けないことか、日本人は命令されないと働かないというのか、そしたら犬飼会長自らが岡田監督へ命令してほしい。勝つまで帰ってくるなと。

 最後に唯一のうれしいニュースがある。日本女子チームがアジアカップ一次リーグを全勝で勝ち進んだ。今や彼女たちがサムライブルーだ。