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パイオニアたちの思い出(連載第182号)

2013年1月28日

※スペインバルセロナのガウディ作 サクラダ・ファミリア教会
※スペインバルセロナのガウディ作 サクラダ・ファミリア教会

※製作開始から600年以上完成まで架かると言われたが、近代什器の発展で予想以上のスピードで建設が進んでいる。
※製作開始から600年以上完成まで架かると言われたが、近代什器の発展で予想以上のスピードで建設が進んでいる。

Jリーグが開幕して20年が経過した

 この間多くの外国人選手が活躍した。得点王や年間MVPに選ばれた選手も多い。私の記憶に残っている選手を挙げてみたい。

ストイコビッチ

ピクシーと最初で最後に会ったのは、彼のユーゴ代表引退試合で大分での日本代表戦が終った翌日だった。大分のホテルでユーゴ代表を見送った後、家族と共にロビーでくつろいでいた。私は握手を求めて彼の偉業をねぎらった。彼のプレーは、いつも真剣で日本人選手のお手本だった。その一途な働きを多くの日本人は評価している。

エムボマ

ガンバにやってきた黒豹ことエムボマの活躍は身体能力の高さのすごさを私たちに植え付けた。振り向きざまのボレーシュートは脳裏から離れない。彼とは2001年のコンフェデレーションズカップの新潟での試合後、新幹線で出会った。私の肩を組んでくれたが二階から見下ろす格好だった。

ジーコ

ジーコにはジーコのやり方がある。かれの監督時代に日本代表はW杯で開花することは無かった。そして中田ヒデらが引退していった。私の自宅のどこかに鹿嶋時代の彼のサイン色紙が残っている。

アルシンド

ジーコ以上に華々しく活躍した一人だろう。彼のスピードと駆け引きを日本人は見習う必要があった。

リトバルスキー

ジェフにやってきたドイツの技工士リティのすごさはドリブルだった。ゴール前のスペースの無いところで一人ワンツーをやって何人も抜き去った。

ラモン ディアス

マリノスにやってきたプロの点取屋だった。彼のゴールの全てに力が入っていない、力みのないタイミングと技のシュートだった。彼のループシュートは忘れられない。

レオナルドとジョルジーニョ

鹿嶋にやってきた助っ人で今や監督を経験した二人だ。
レオナルドの浮き球での四人抜き、ジョルジーニョの弾丸シュートは今も覚えている。

カレカ

柏レイソルにやってきた数少ない助っ人。日本では画期的な活躍は見られなかったが、彼のプレーは随所にプロ中のプロ的なボール扱いが見られた。ジーコ同様にブラジルでは偉大なプレーヤーだ。

スキラッチ

イタリア人の助っ人はJでは数少ない。ジュビロに来たスキラッチは、かつてのデイアスのようにすばしっこい点取り名人だった。

その他多くの選手が日本にやってきた。彼らはある意味パイオニア達だった。

モネール、アラウージョ、レアンドロ ドミンゲス、マルキーニョス、ケネディ、ワシントン、ドゥンガ、エドウー、 サンパイオ、エジミウソン、ブッフバルト、マグノアウベス、シジクレイ、賈 秀全、洪 明甫、朴 智星。

残念だがあと数名の名前が思い出せない。何かのときに思い出すことができれば、折々に紹介していこう。ではまた。